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やっぱりすごい! 全国のフジが咲き競う日本一の藤公園 岡山県和気町藤野

2022-05-09 16:03:48 | 花の名所
訪問日:2022(令和4)4月25日(月)

4月24日の地元の山陽新聞に、和気町の藤公園のフジが紹介されていました。この2年間、コロナで休園。3年目の今年、藤まつりを開催したとの内容です。
開花状況は4分咲きとのこと、掲載されていた写真もなかなかのものでした。

週間天気予報では、この日は久しぶりの晴れの予報で、その後は下り坂とのことでした。これは、最後のチャンスと思い、自宅を8時に出発しました。山陽道笠岡IC経由で目的地には9時半に到着しました。
まだ、平日の早い時間ということもあって、駐車場に車は三分の一程度でそれほど混雑している印象はありません。
赤い橋を渡り正面に和気神社を臨み、左手に折れて川沿いを歩くと入園口があります。受付で最初に検温を受け、自販機で入園券を購入し進むと、早速正面に美しい藤色のフジが見えてきます。前日が4分咲きだったので、今日は5分咲きと思ったら、立て看板に7分咲きとあり、びっくりすると同時に、ありがたいと素直に思いました。


川の向こうに藤公園が見える


駐車場から赤い橋を渡る


振り返ると駐車場が見える


正面が和気神社 左に折れて川沿いを進む


検温のあと入園券自販機がある 高校生以上300円


最初に目に飛び込んでくるのが左側通路の入り口

藤の花咲く郷
その昔、その名の通り、この藤野の地は藤が咲き乱れる原野であったと伝えられています。そこで、この地で誕生した和気清麻呂公の生誕1250年を記念して「藤の花咲く郷公園整備」により昭和60年に藤公園が完成しました。
(パンフより)


左側入り口のアップ 素晴らしいボリューム


正面左


正面


正面右

(右側通路を歩く)



藤棚の総延長は500mにも及びます。 藤棚の配置図は馬蹄形、もしくは「かんじき」の形に似ています。イベント舞台に向かって、右側通路、二段の中央藤棚、左側通路と進みました。(特に順路が指定されているわけではありません)


太い幹 移植されて37年目を迎えます


期間中はライトアップされます


藤の花がシャワーのように降りかかる 通路の幅は7m

昭和60年に開園した和気町藤野にある藤公園は、全国から著名な藤を集めて作られ、その数約100種類と、種類の多さでは日本一を誇る美しい公園です。花の房を1メートルも垂らした藤もあれば、葡萄のように小ぶりな房の藤もあり、またその花の色も、紫の濃いもの薄いもの、可憐なピンクや清浄な白もありと様々です。
藤棚は総延長が500メートルあり、その下は通路となっていて藤を仰ぎながら散策することができます。
花が満開となる時期には、長く房を垂れ重なりあって開いた藤は紫色の煙る雨のようにも見え、見る人を引き込む幻想的な美しさを持っています。和気町を代表する観光地です。
(HPより)


二段の中央藤棚を仰ぎ見る


白色の藤棚 とても広い藤棚です


白とフジ色の競演


ところどころに青空が見える すべてが埋め尽くされているわけではありません


広々としている中央藤棚


ピンクのフジ 房の長さは短いですがとても華やかです


ピンクのフジ アップ

藤棚の外側から見るフジ そのボリュームに圧倒される


その1


その2


その3


その4


その5


その6


その7


その8

見ごろの予想では、29日あたりが満開とのことでしたが、7分咲きでもそのボリューム感は相当なものです。この藤公園、日本一とありますが、これは、北海道から鹿児島、韓国、中国の品種など合わせて、その数100品種以上にもなります。この数が日本一ということなのです。
フジ棚の総延長は500mに及び、紫色だけでなく白やピンク、八重もあり、実に変化に富んでいます。
多くのカメラマンが熱心に撮影し、またスマフォで撮影する人も、この瞬間を記録にとどめていました。テレビ局クルーの撮影も行われていました。
今回の開催にあたっては、コロナ禍ということもあって出店はなく、敷地内での食事はNGとなっていました。
独特の甘い香りと、蜜を求めてブンブンと飛び交う花蜂の羽音が季節を感じさせてくれます。
周辺の山々も若葉に覆われ一番いい季節、そして青い空とフジの花が一体になってこれ以上の被写体はありません。春の旬の季節を満喫できた気がしました。


たおやかで美しい藤の花

藤の花の特徴は、房のような花を下垂させて咲かせるところです。この房のように見えるのは小さな花の集合体で、一つ一つは直径2㎝程度のマメの花です。つるの先に垂れ下がるように咲く藤の花は、風が吹く度に柔らかく揺れて、見ているものを魅了します




もう20cmは伸びそうな先端

藤の花はその優美さから古来より日本人に愛され、美しい女性の例えにも使用されてきました。歌舞伎や日本舞踊でも有名な「藤娘」は、藤の花の精が美しく舞う演目です。







藤の花は風でも散りやすく、強風が数日続くとつぼみのまま散ってしまうこともあるといいます。上の方から咲き始め、長い房状の花の先端が咲く頃には上の方の花が萎れ始めています。上の方の花が開いていて下の花はまだ少しつぼんでいるくらいが、見頃だそうです。



休憩所 藤里庵 鑑賞に疲れたらここでリセット 今年は食事はできません

左側通路を歩く 降りかかるフジのシャワー


川沿いの通路です









笠間稲荷神社の八重のフジ

ボランティアガイドさんが力を入れて説明されていました。大変めずらしいそうです。落ちた花弁はとてもかわいくポプリにしてもよいそうです



茨木県笠間市(県指定)
この藤は、日本三大稲荷の一つといわれる笠間稲荷神社の境内にあり、樹齢400年と古く、根回り3.55mでめずらしい濃い紫の八重の花を付ける巨樹です。この藤は神木として門外不出とされていましたが、和気公生誕1250年の記念事業として特に許されていただいたものです。
(パンフより)


カメラマンを多く見かけました

和気神社

折角なので和気神社にお参りしました。

和気清麻呂は、天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれました。奈良の都に武官として出仕し近衛将監となりました。神護景雲3年、孝謙天皇に寵愛された僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救いました。その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たっています。延暦13年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力しました。



大きな干支の看板 今年は寅年ですね


和気清麻呂公像


少し斜めから

和気清麻呂像
和気清麻呂の生誕1250年を記念して作られた高さ4.63mの像は日本彫塑界の大御所朝倉文夫作。奈良県と朝倉家遺族のご厚志により当地へ寄贈され、藤公園のシンボルとなっています。(パンフより)

朝倉文夫について
日本の彫塑界をリードする中心的な存在として活躍しました。1948(昭和23)年には彫刻家としてはじめて文化勲章を受章し、1964(昭和39)年81歳で没しました。東京美術学校教授をつとめ、実に24年間の長きにわたり後進を育成しました。

昭和15年に皇紀2600年を記念して、大日本護王会と清麻呂公銅像建設期成会が銅像作成を計画し、当時の我が国を代表する彫刻家であった朝倉文夫、北村西望、佐藤清蔵の三氏に作成を依頼しました。しかし、事前説明の不備から三者による競作と知らなかった朝倉文夫は原型を仕上げた段階で辞退し、結局佐藤清蔵の作品が選ばれました。
この朝倉文夫の石膏像は、橿原神宮に献納され、戦後は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で所蔵されていましたが、昭和59年に清麻呂生誕1250年を記念して、和気町が譲り受け、郷土のシンボルとすべく銅像にし、和気神社の外苑芳嵐園に建立したものです。



狛亥と石の鳥居


和気清麻呂の災難を救ったとされる猪 狛犬ならぬ狛亥(こまいのしし)


大きな腹は布袋さまでしょうか


石段を登って振り返るとご覧のような素晴らしい景色 杉の巨木が印象的です


境内、拝殿に進みます


拝殿 大勢の人がお参りしていました


後ろが本殿です


牛はよく見かけますが、猪とは和気神社だけのことはあります


三福かえる 出っ張のような歯は硬貨でした


頭の上にも 誰が最初に差し込んだのでしょうか


和気町歴史民俗資料館


清麻呂公像の後ろ姿 どこか現代社会を憂いているように見えます 和気神社HP

このあと、すぐにUターン、自宅には正午前に帰着しました。ほんのひとときのことでしたが、撮影した画像を見るたびにその余韻が伝わってくるようです。
最後までご覧いただきありがとうございました。


画像の無断転載をお断りします

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