未熟なカメラマン さてものひとりごと

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感動したテレビ番組 「あなたが日本に住む理由」 チベット人歌手 バイマーヤンジンさんの過酷な半生

2023-12-15 21:00:21 | 感動したテレビ番組
放送日:令和5年8月30日(再放送)

私が楽しみにしているテレビ番組に、BSテレビ東京の「あなたが日本に住む理由」があります。MCの高橋克典さん、アシスタントの繁田美貴さんの軽快なトークで日本に住む外国人の奮闘ぶりを紹介する番組です。
コンセプトとして、外国人から見た日本を、私たち日本人が再認識するという番組で、「外国人だからこそ見えてくる美しき日本の魅力を私たちは知ることになるんです」というかわいい、そなさんのナレーションにも癒されます。

(山本そな 14歳 子ども声優事務所 IPD VOICE 所属)

今回のゲストは、チベット人の齋藤バイマーヤンジンさん55歳です。繁田アナウンサーの、「朝ドラのような人生」との紹介。オープニングは、お寺での講演の様子でしたが、「少々地味な衣装ですみません」と、目立つ民俗衣装で登場。しゃべりはまさに大阪のおばちゃんです。
27歳の時に来日してすでに29年、「日本の方が長くなってしまいました」と笑顔で話すヤンジンさんには想像もできないような、過酷な半生がありました。



BSテレ東 あなたが日本に住む理由 MCの高橋克典さん、アシスタントの繁田美貴さん

(生まれたところは)

生まれたところは、中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ。冬は零下20℃~25℃の極寒の地。標高は富士山の9合目に相当する3500mだそうです。
兄弟が多く、生活のため、家族全員に、それぞれ役割があります。子供たちには、学校に行く前に朝5時頃から起きて、牛(ヤク)の乳絞りがあります。当時働きに来ていた漢民族の裕福な家に届けて、それが唯一の現金収入でした。
帰ってからも燃料となる牛のフン集めをします。もともと遊牧民のテント生活でしたが、子どもたちのことを考え、家を建てて定住することになったそうです。現在は、長男が遊牧民として、家業を継いでいます。


(母の苦労話)

先祖代々、字の読めない家系で、たくさん辛い思いをしてきました。子どもたちをできたら学校に通わせたいという思いから、一か所にとどまるようにしたそうです。
母が都会に行ってトイレに入ろうとしましたが、男性用と女性用の便所の文字が読めないから間違って男性用のトイレに入り無茶苦茶怒られたそうです。母親が泣きながら、「なんでアナタを学校に行かせたいかわかるか? せめてトイレくらいわかる人間になってほしい」と言われました。

学校に行って一生懸命勉強し将来、親をトイレに案内できるようなりたいというのが夢でした。

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まるで朝ドラのような壮絶人生。チベット娘が大阪のおばちゃんに
日本の言われてみれば再発見 外国人が見つけた日本の魅力

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ヤンジンさんには学校へ行き帰り忘れられない光景がありました。
村に漢民族の駐在員の子どものための幼稚園が一つだけあり、中に滑り台がありました。覗いていると、あっち行けと怒られました。私たちと接したらあかん。汚いフンを背負ったこどもたちだから、というのがその理由です。


(中学校に通う)

小学校を卒業するとヤンジンさんとお姉さんだけが中学校に進学。
中学校の先生がなぜかうちに来て、「この子を高校に行かせなさい」と両親を説得しました。一番近い高校は家からなんと300キロ離れたところ。うちの親は高校があることもさえも知りませんでした。
このことは、いかにヤンジンさんが優秀だったかに他なりません。人生の節目で度々恩師が登場します。


(高校時代の信じられないような猛勉強)

高校までの距離、実に300㎞。通えるわけもなく、寮生活をすることになりました。
高校一年生の冬休み、実家に帰省したヤンジンさんはある光景に衝撃を受けます。
私が高校生活で抜けて、牛のフン拾いの役をなんと弟二人が受け継いでいました。真冬の中でその姿を見てとてもつらかった。私は兄姉のおかげで高校に行っているのに、姉としてその役割を果たしていない。私も学校をやめて弟を守るために仕事をしようと思いました。
両親は何も言いませんでしたが、ちょうど中学校の先生が会いにきました。「私は学校を辞めて働きます」と言ったら滅茶苦茶怒られました。「あんたは大学に行くべきだ!」「大学に行ったらいい仕事をもらえるし、給料というものがあるから、それで家族においしいものを食べさせなさい。」
その時、先生の言葉を信じて頑張ろうと思いました。


覚悟を決めたヤンジンさんの猛勉強が始まります。
消灯時間を過ぎたあとも勉強しようと高校のトイレで猛勉強。9時半とか10時に寝ていては大学に行けるわけない。灯がついているのはトイレだけ。こっそり入って、立ったまま朝2時・3時まで勉強しました。冬はめちゃめちゃ寒いので、手を交互に口に入れて温めました。

ヤンジンさんはある人物に才能を見出されます。
正直、勉強は辛くて辛くて、気を紛らわすため、廊下でチベットの民謡を歌っていたら、音楽の先生が来て「あなた音大に行きませんか、音楽をめざしましょう」と説得され、ヤンジンさんは音楽の道に進むことになりました。


(人生で一番つらかった大学での日常

1985年、めでたく四川音楽大学の声楽家に入学。親はもちろん、村中が大ニュースになって応援してくれましたが、実はこの音大が、人生の中で一番つらかったのです。チベット人として本科生に入ったのは初めてのことでした。
「山から来た野蛮人」と呼ばれ、「蛮子」というあだ名をつけられました
目を合わせないし、近づいたら避ける、
いっぱい辛いことがありました。(涙)
一時期、すごく弱くなってしまって、辞めたいと思ったこともありましたが、ただ大学を辞めなかった理由はただひとつだけ。
親を泣かせたくなかった。負けたらだめだと思いました



大学時代のヤンジンさん

(卒業公演のあとで運命の出会い)

卒業公演は、民俗衣装ではなく、貸衣装のドレスで臨みました。チベットにコンプレックスを持ってしまいました。山も羊も民族衣装もすべて嫌いになりました。他のみんなと同じようにドレスを着たいと思いました。食費を削って学校では一番安いドレスを借りてステージに臨むことができました。

卒業コンサートが終わって突然訪ねてきたのが、日本人の齋藤秀樹さんでした。
へんな中国語で「あなたは本当にチベット人ですか?」「そうです」と答えると急に満面の笑顔で「チベットって素晴らしいところですね!」「私は、日本人です。日本から来ました」何で日本人がチベットをほめてくれるんだろうと、でも体が震えるくらいうれしかった。


1989年、音大を卒業し、念願の音大の講師になって働き始めたヤンジンさんは正式に秀樹さんとお付き合いを開始します。(画面の写真は四川音大でのツーショット)
高橋「ヤンジンさんはとても美しくなられて、これは愛の力ではないですか」
ヤンジン「こんなピチピチのギャルもこんなおばちゃんになるということをテレビで見ている方たちも覚悟をしていただきたい」(笑)


(そして日本へ)

チベットの両親を何とか説得し1994年2月に入籍。秀樹さんの就職で日本に行くことになりました。日本にはめちゃくちゃ不安がありました。言葉はしゃべれないし、仕事があるのに辞めなくてはならない。実家にもやっと仕送りができるようになったのに、すべて辞めて日本に行くことになったのです。

主人は、二人の将来に関して一生懸命語ってくれて私を何とか説得してくれました。
大学のある先生と出会ったときに、「ヤンジンさん、あなた日本人と結婚するの?」「苦労するよ」と言われ「日本の女性たちは結婚したら一歩も外に出たらいけない」「みんな両手をついてご主人の帰りを待たないといけない国だよ!」
その直後に私は「おしん」という映画を観たんですよ。
あの人、私をだましているんじゃないかと正直思いました
主人は、あの映画古いよ。今は違う。僕を信じて、守ってあげるからとまっすぐな目でみてくれて正直心を動かされました。
私のような者を、できれば消えてほしいと言われていたのに、都会にはもう居場所もない人間なのに、主人がこんなにも言ってくれることがうれしくて(涙)この人ならどこまでもついていこうと思いました。


(温かい日本の義父母)

しかし、日本に来てから初めて分かりましたけれど「全然守り切れていない」(笑)
主人のサラリーマン生活が始まり、朝早く出て夜帰ってくるのが遅い。
繁田アナ「チベットの皆さん、働き者じゃないですか」
「だけど陽が沈んだら牛も人間も一旦小屋に戻るでしょう。」「8時になっても帰ってこない、10時半とか11時にやっと帰ってくる」
「何してるの、チベットは牛でも寝てるんやで」(一同笑)
主人も相当つらかったと思います。

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1994年1月、秀樹さんの実家のある大阪にやってきます
東京から飛行機で1時間 (軽快なBGM)
ここからヤンジンさんが住んでいる吹田の町を当時を振り返りながら案内します。

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義父が、主人と伊丹空港まで迎えに来てくれました。初めてお会いして髪の毛がオールバックで光っていました。まるで牛になめられたみたいに。
飛行機の中で、紙切れをお経のように読み上げて読み上げて一睡もせずに、だけどあったときは緊張して全く言葉がでませんでした。
家に着くと、家族全員がお出迎え。そして宝物・息子の詠心さん、主人でございます。齋藤秀樹さん。(息子さんとそっくり!と 繁田アナ)
元、ファッションデザイナー85歳のお母さん、第一印象を聞かれると、「写真と同じきれいな子やなあ」「女優さんみたいやな」と思いました。


(アルバイトを始める)

高橋「ヤンジンさんは日本に来てからずっと専業主婦でしたか?」
いやいや、このような天国のような場所で、チベットの両親が食べたこともないようなお米を私一人だけ食べていると思うと喉を通らなくなって、私は働いて仕送りをしようと思いアルバイトを始めようと思いました。

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大阪に来て半年、ヤンジンさんは、持ち前のガッツで働き口を見つけました。
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大阪弁で話すヤンジンさんはすっかり大阪のおばちゃん

(写真に秘められた切ない想い出

ヤンジンさんは初めて働いた店、ロッテリアハンバーガーにスタッフを案内します
日本に来て1年目でアルバイトをしたところです。ここで初めて敬語に触れて勉強するようになりました。
頑張ったので、1ケ月後にランクがあがり給料が10円だけアップしました。

(ロッテリアでの店の写真が画面にアップされる)

こっそりお義父が働いている姿を見にました。昼休みに帽子を取って外に出たら「写真を一枚撮ってあげる」。これがここでの唯一の写真になるんですよ。
主人が毎日仕事に行くので、たぶん心配してくれてたと思います。応援してるよと言ってくれてとてもうれしかった。(涙)


(ボランティアから歌手活動へ)

阪神淡路大震災のとき、ボタンティア団体で炊き出しを手伝っていたら、私が歌手だと知っている人から、歌を歌うよう懇願され、歌うことに。
それからボランティア活動で歌わさせていただくことになりました。何か導かれているような気がします。

ヤンジンさんの日本語能力もアップして、大阪のおばちゃんの資質も出てくると、その歌声トークのおもしろさにどんどん依頼が増えていきます。
私、しゃべろうとは思っていなかったんです。ほんとに。いつのまにか、うちでしゃべってください、今日は歌わなくても大丈夫だから、たっぷり一時間半しゃべってください。と。
それでもチベットの事を聞いてくださるのがうれしい、チベットのことを少しづつでも皆さんに知ってもらいたいと思います。


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大きなホールでのコンサートも行うようになります。
2006年には広島平和会議のステージで、ダライ・ラマ14世の前で舞台に立ちました。
その時の圧倒的なヤンジンさんの歌をご覧ください。

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(歌の映像の中に、流れるテロップ)

遥かなる故郷へ
仕送りで実家を改築、親と兄弟の生活も支える
チベットへ教育を届けたい。小学校建設を決意
1999年ヤンジン希望第一小学校開校
25年間教育支援を続け
チベットに幸福の種をまく
現在9つの小学校と一つの中学校を建てた


(ヤンジンさんの好きな風景)
私の好きな風景は、万博記念公園の日本庭園です。
チベットは大草原も自然のまま、細かいことは気にしません。
でもここは本当に違います。池も芝生も木も隅々まで手入れが行き届いています。職人さんの心息も伝わってきます。


(エンディング
(軽快だが切ないメロディーと、短くも洗練された文章に、つい視聴者の私もほろり)

学校の先生になりたかった少女は
家族の支えで大学へ
差別で心が折れそうになったとき
チベットって素晴らしいところですね
愛する夫と日本へ
新しい家族に愛されて
音楽の力を思いだした
チベットに教育を
宝物も授かり
これからも幸福の歌を詠う

How strange life is,! 人生とは不思議なもの


ヤンジンさんに好きな漢字をしたためてもらいました、
 「縁」です。私は不思議な縁に導かれていたような気がします。
日本に物申したいことは
 日本は核家族化しています。家族同士の絆をもうちょっと縮められたらもっと幸せじゃないかと思います
あなだが日本に住む理由は 
先生方の質をもう少し良くしたい。日本の大学に入って深く勉強したいと思うからです。


高橋、繁田アナ 本日はありがとうございました。
高橋 「今日は一体何度泣いたことか。」
ヤンジンさん「メイクもとれてしまって」「メイクさん、あれどこ行ったあ?」 (一同 笑)
END


(外国人一家の食事風景をのぞき見、日本めし百景です)
魚はチベットでは神聖な生き物。食べてはいけないそうです。義母の「カルシウムをとるためちりめんじゃこを食べようと思ってんねん」に、「今から人生が始まるのにかわいそう」と意見が飛び交う賑やかな食事風景でした。


こののち、ヤンジンさんのことをいろいろ調べてみると、テレビ出演も数々。ちょっと有名な人だとわかりました。
苦労した半生は、もう30年以上前のこと、現在では、チベットの生活環境もぐっと改善していることでしょう。ヤンジンさんの故郷に対する想いと、教育に掛ける情熱には、大いに刺激されました。
今後もますますのご活躍、お祈りしています。



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