田中苑の楷の木(昨年の紅葉から)
10月4日(土)午後5時30分より井原市田中苑及び市民会館で「観月の夕べ」が開かれました。各流派の茶席が設けられ大勢のお茶愛好家で賑わいました。午後7時からは市民会館ホワイエで、演奏が行われました。
このラストを飾るのが、茶の湯音頭で、今年のお点前は上田宗箇流の担当でした。そして先生よりお点前は私に命じられ、この日のために、練習を重ねてまいりました。何が難しいかというと、三曲(箏、三絃、尺八)の演奏に合わせて、お点前をし、曲の終了に合わせてお点前も同時に終わらせるというところです。
先生からいただいた設定時間は、14分17秒でした。三曲の演奏者は、終始、譜面を見ていますので、お点前の動作に注視することはできず、合わせるのは非常に困難です、仮にできるとすれば最後のところだけでしょう。ということで、お点前で曲に合わせるしかありませんが、しかしこれがなかなか難しいのです。それでも私の場合は、水指の蓋をとるときに、箏の弦を「シュシュ」とこする音、終盤、水指の蓋をするときに後半の唄が始まる、という2点で、お点前が早いか遅いか判断し、調子を合わせるようにしました。
何かアクシデントが起きない限り大丈夫と思っていましたが、それでも100人以上の視線がお点前に集中する舞台の上のことですので、最初は自然と手も震えます。意識的にゆっくりすることを心がけると、遅れ気味になり、最後で少し無理に合わせた感じになりましたが、何とか無事に終了することができました。一番気をもんでいたのは、指導いただいた先生方と家族ではないでしょうか。とにかく三曲を演奏された皆さんや、我が社中の半東役、正客役の皆さん総勢7名の努力の結晶で、感謝あるのみでした。
この「茶の湯音頭」について少し調べてみました。
茶の湯音頭(茶音頭とも)は、江戸時代の文化文政期に京都で活躍した盲人音楽家、菊岡検校(きくおかけんぎょう)が作曲、八重崎検校(やえざきけんぎょう)が箏の手付をした手事物の地歌曲です。俳人横井也有(よこいやゆう)の「女手前」から抜粋した歌詞で、茶道の茶の湯の道具を歌詞に詠み込んで、男女の契りの末永く変わらぬようにと願いを歌ったもので、曲の長さと薄茶点前との時間がぴたりと一致するところから、三曲愛好家と茶人たちが席を共にして楽しむ風流が生まれました。また、三絃の調弦が「六下がり」という非常に特殊なもので、独特な響きがこの曲独自の雰囲気を作りだしています。
<歌 詞>
世の中に勝れて花は吉野山、紅葉は立田、茶は宇治の、都の辰巳それよりも、
里は都の末申。数寄とは誰が名に立てし、濃茶の色の深緑、
松の位にくらべては、かこひというも低けれど、情けは同じ床飾り、飾らぬ胸の裏表、
帛紗捌けぬ心から、聞けば思惑違い棚、逢うて、どうして香筥の、
柄杓の竹は直すなれど、そちは茶杓の曲み文字、憂さを晴らしの初昔。
昔し話の爺婆と、なるまで釜のなか冷めず、緑は鎖の末永く、千代万代へ。
(通 釈)
世の中で花に勝れた山は吉野山、紅葉に勝れた山は立田山、茶に勝れたところは宇治、喜撰法師が古今集に、「辰巳しかぞ住む」とうたった宇治よりも、里は都の末申にあたる島原の遊郭が優れている。
通人・風流人の風流を数寄と誰が呼び、評判を高くしたのか、その通人の立てる茶の湯の濃い茶の色は深緑、松の位即ち太夫からくらべれば、囲い女郎を茶室の意をもつ「かこひ」と呼んでも身分は低いが、人情の点では生娘と同じ床飾りの美しさをもっている。
偽り飾らない胸の裏表、表裏の布から出来た帛紗、その扱い方の上手にゆかない心の悩みから、聞けば茶室の違い棚のような思惑違い、されど逢って、どうしてこうしてと話してみれば、その香筥の柄杓の竹は真っ直ぐなように正しいが、そちらは茶杓の先が曲がっているように、ゆがみ文字となって曲がって私に苦しみを与えなさる。
憂さ晴らしに初昔の茶を飲んで、やがてはありし昔の若かった当時の懐い出話をする爺婆となるまで茶釜の湯のように冷めないで、茶釜を釣った鎖のように、強く末永く変わらず千代万代と幾久しく絶えない縁を祈りましょう。
この歌詞を理解して、臨めば、情感が出てもっといいお点前ができたのではと思いましたが、「時、すでに遅し」でした。(参考文献:ウイキペディア他)
Mygarden ザクロ
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