友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

連休最後の日

2009年05月06日 19時47分16秒 | Weblog
 とうとう連休の最後の日となってしまった。今日は孫娘にとっても水泳大会の最後の日である。長女のダンナの両親が孫娘の応援に来てくださるという。それなのに私たちが行かないというわけにはいかない。もし逆の立場であったなら、なぜ来ないのかといぶかしく思うだろう。長女に予定を聞いたところ、午前9時半に駅に迎いに行って試合を見てもらい、お昼ご飯を一緒に食べて、その後は自由にしてもらうつもりだと言う。

 午前9時半には間に合わないが、お昼を一緒に食べることはできるからと出かけた。水泳大会は50m10コースで行なわれるが、東海3県のスイミングスクールの子どもたちが参加するので、ほとんど間を取ることなく次々とスタートする。種目そのものでは長いものでも800mだから時間は9分から10分だが、短いものなら50mだから何秒という世界である。しかも観覧席はプールから離れているので子どもの姿を確認することも容易ではない。

 飛び込んでゴールするまで、アッという間の水泳大会だから婿の両親はどんな感想かなと思ったが、孫娘が所属するスイミングスクールの子どもたちが出ている種目になるとかなり熱っぽく応援している。なかなか熱い人なのでホッとした。お父さんの方は私よりも年上で、今は山村に土地を持っていて、「毎日のように出かけている」とお母さんが言う。「山菜取りをしてくるのはいいけれど、その始末が大変なのよ」とも。男はどこへ行っても自分本位なのかもしれない。裏返せば、自分本位なれる基盤があるということなのだろう。

 お昼ご飯を食べながら話が盛り上がった。婿のお父さんは健康には人一倍気をつけてみえるが、息子は理屈で考えようとして、経験派の父親と対立しているかのように見える。けれども物事を論理的に考えようとする理屈っぽさでは大きな差はない。婿は毎日、私のブログを見ていてくれるようで、昨夜の『ダンスリサイタル』についても「批判的に書いてあった」と評してくれた。婿は音楽に携わっているから、音の作り方で気に入らないところがあったようだが、私はダンスとは何なのかがしっくりこなかった。

 ダンスは優美で華麗な世界を見せるものなのか、それならば若さに勝る何かが必要だと思う。会場でいただいたプログラムに楽曲を提供した弥富又八さんが寄せていた一文が心に残った。それは、「(長女の友だちが)ふっと見せる寂しげな表情に心打たれる。太陽のような明るさで人と接し、あらゆることに全力で取り組む彼女から、それはアーティストの孤独を垣間見る一瞬。長いダンサー生活の中で彼女が流した汗と涙、喜びと挫折。ダンスと同じだけ人間も愛そうとする姿勢‥‥様々なものがひらめく一瞬」とあった。

 少女歌劇の作り笑いではなく、「喜びと挫折、汗と涙、人の孤独‥」を表現できるダンサーになって欲しいと思う。年を重ねてもなお輝いているためにも。
コメント
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