友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

未婚社会が意味するもの

2009年05月08日 19時14分09秒 | Weblog
 昨夜、NHKテレビで『どうする未婚社会』を取り上げていた。生涯未婚率が30%にもなると警鐘を鳴らしていた。未婚が多くなると何が問題なのだろう。まず、考えられることは出生率が下がるだろう。子どもの数が少なくなるということは人口が減るということだ。人口が減れば、これまで売れていた商品の数量も減る。家も車の服も相対的に数が減る。生産は減り右肩下がりの経済社会となる。

 地球の人口は増え続けているので、後何年か先には飽和状態になる。農地や水が不足する。それ以前に生産のために地球破壊が進む。人口の減少はこの悪循環を断ち切ることに少なくとも役立つであろう。人口が減ることは悪いことばかりではない。どうして政治家もマスコミも結婚しない人が増えることを否定的にとらえるのだろう。

 番組の中でもやり取りがあったけれど、なぜ未婚なのかといえば、その理由は様々ある。男からすると恋愛が面倒くさいし、その面倒を乗り越えて得られるものは何かわからない。女性に気を遣い、金を使い、そうまでして手に入れる価値があるものとは思えないと言う。女からは、男は草食動物で自分から口説いてくれない、結婚したら専業主婦がいい、そのためには収入が多い方がいい、最低でも年収は400万円以上なければ結婚しないと言う。

 ゲストの菊川玲さんが「えつ、どうして?好きな人と一緒に暮らしたいんじゃないの?愛はどうでもいいの?」と絶叫していた。私の知り合いは見合いで結婚したが、「まず相手の収入を見て次にどこに勤めているかで決めた」と言っていた。「相手の人と話はしなかったの?」と聞くと、「結婚式の日まで口を利いたことがなかった」と答えた。それでも5人の子どもを生み、「お父さん、お父さん」とご主人に甘えていた。

 大正・昭和は日本に資本主義が根を張る時代で、勤め人が増えてきたが、それはまだ明治の富国強兵政策下にあったから、男は外で働き女は家を守る社会であった。戦後、高度経済成長が続くと働き手が不足し、男女共同社会の名の下に女性の社会進出が推し進められた。家庭は夫婦単位となり、さらに単身赴任も生まれ、家庭の形も変わってきた。フランスでは結婚しない男女も結婚した男女と同じ扱いとしているそうだ。今、一緒に暮らしているけれど、夫婦という法的な縛りがなくなっているから家庭とは言えない、テレビでの討論も賛否両論であった。

 けれどもそういう社会になっていくであろうと私は思う。結婚したい人はすればいい。結婚したくない人までも結婚させることはない。恋愛は面倒?当たり前だ。好きな人に会いに行く、そのドキドキとした気持ちが恋だと思うけれど、そんなものは要らないというなら仕方ないと思う。好きな人と一緒にいることの歓びや肌の暖かさよりも、パソコンの方が好きなら仕方ない。別に麻生首相のように「子どもをつくることは義務」ではない。人類はいつもどんな時も結果を背負ってきた。当たり前のことだ。
コメント
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