頑張り屋の孫娘がとうとう倒れた。倒れたは大袈裟過ぎる言い方である。学校で熱が出て、保健室で寝ているから連れてきてくれと長女から電話が入った。保健室の先生の話では5時間目が終わったあたりから熱が出たようだ。この10日間ほどずっと鼻声になっていたが、とうとうやられたかというところだ。時勢が時勢だけに、保健室の先生としては気になるようで、マスクを用意してくれた。かかりつけの医者に連れて行くが、孫娘が期待するようなインフルエンザの検査もされず、鼻水が止まる薬や熱を下げる薬をもらっただけであった。
「豚インフルエンザでなくて残念だったね」と冷やかすと、むっとして私に向かって咳を吹きかけてきた。それくらい元気があれば大丈夫だろう。母親が新居に移ってから、ひとりで部屋で暮らしてきたから、確かに自由であっただろうし、急に部屋の主になってしまった責任から気も使ってきたであろう。中間試験を迎えて頑張らないと希望の高校へ行けなくなるという脅迫感もあったであろう。広い部屋で、しかも大規模修繕工事のためにゴチャゴチャになったままの部屋で、生活を続けてきた疲れがいっきに爆発したのだろう。
テレビをつけると麻生首相がインフルエンザ対策をきちんとやっているという政府のコマーシャルが流れていた。麻生首相という人は本当に運に恵まれている。首相に就任してすぐに世界的な経済恐慌に見舞われ、「政局よりも経済政策が大事」となった。次の世代の国民に肩代わりさせるための国債を発行し、経済の建て直しを図るとして過去最大の約14兆円の補正予算を計上している。一般会計も総額102兆円となると言うから、前年度より27%増ほどになる。国の税金を使って政府の宣伝が出来るのだから政権を握っていることは強みである。
こんなに滅茶苦茶に税金を使う政権でありながら、野党もマスコミも的確な批判が出来ないところに日本の現状の甘さがあると思う。麻生首相はあくまで景気回復が何よりも国民が求めていることだと言うであろう。今、野党の中に景気回復なんか必要ない、みんなが生きていける社会であればいい、といえる政党があるだろうか。もう一度右肩上がりの国にしましょうのキャンペーンの方がはるかに国民の受けはいいからで、それではダメですよと言えないのだ。
アメリカ大統領オバマさんはムッソリーニと似ていると言う政治評論家がいる。オバマさんは白人も黒人も一緒にアメリカのために頑張ろうと言うけれど、ムッソリーニもイタリアのために懸命にやるなら人種が何であろうと受け入れるとして支持を伸ばしたと指摘する。ムッソリーニは、インターナショナルな世界を目指しながらナショナリズムに陥ってしまったけれど、人間はナショナリズムを克服できなければ結局いつも同じ道を歩むことになるのかもしれない。
「豚インフルエンザでなくて残念だったね」と冷やかすと、むっとして私に向かって咳を吹きかけてきた。それくらい元気があれば大丈夫だろう。母親が新居に移ってから、ひとりで部屋で暮らしてきたから、確かに自由であっただろうし、急に部屋の主になってしまった責任から気も使ってきたであろう。中間試験を迎えて頑張らないと希望の高校へ行けなくなるという脅迫感もあったであろう。広い部屋で、しかも大規模修繕工事のためにゴチャゴチャになったままの部屋で、生活を続けてきた疲れがいっきに爆発したのだろう。
テレビをつけると麻生首相がインフルエンザ対策をきちんとやっているという政府のコマーシャルが流れていた。麻生首相という人は本当に運に恵まれている。首相に就任してすぐに世界的な経済恐慌に見舞われ、「政局よりも経済政策が大事」となった。次の世代の国民に肩代わりさせるための国債を発行し、経済の建て直しを図るとして過去最大の約14兆円の補正予算を計上している。一般会計も総額102兆円となると言うから、前年度より27%増ほどになる。国の税金を使って政府の宣伝が出来るのだから政権を握っていることは強みである。
こんなに滅茶苦茶に税金を使う政権でありながら、野党もマスコミも的確な批判が出来ないところに日本の現状の甘さがあると思う。麻生首相はあくまで景気回復が何よりも国民が求めていることだと言うであろう。今、野党の中に景気回復なんか必要ない、みんなが生きていける社会であればいい、といえる政党があるだろうか。もう一度右肩上がりの国にしましょうのキャンペーンの方がはるかに国民の受けはいいからで、それではダメですよと言えないのだ。
アメリカ大統領オバマさんはムッソリーニと似ていると言う政治評論家がいる。オバマさんは白人も黒人も一緒にアメリカのために頑張ろうと言うけれど、ムッソリーニもイタリアのために懸命にやるなら人種が何であろうと受け入れるとして支持を伸ばしたと指摘する。ムッソリーニは、インターナショナルな世界を目指しながらナショナリズムに陥ってしまったけれど、人間はナショナリズムを克服できなければ結局いつも同じ道を歩むことになるのかもしれない。