友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

政治家の世襲制限

2009年05月22日 20時39分04秒 | Weblog
 民主党は現職の国会議員の3親等以内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを党の内規で禁じ、さらに政治団体やその資金を親族に引き継ぐことを法律で禁止することを今度の選挙のマニフェストに盛り込む方針である。当たり前のことだと思うけれど、これまでなぜ政策として掲げられなかったのだろう。それに国会議員だけに限定せずに、全ての選挙に適応させてもよいのではないかと私は思っている。

 民主党のこの動きを受けて、自民党にも世襲制限の動きが現れた。小泉元首相が「今期限りで引退するが、次男に跡を継がせたい。親バカであるけれどよろしく」と発言したことから、自民党への風当たりは厳しくなった。そこで自民党内の若手議員から世襲制限の動きが表面化してきたのだ。自民党内の制限案も民主党のものと内容的には変わりないようだが、自民党は実施を「次の次から」と先延ばしにしている。しかし党内論議の進み具合で「前倒しもありうる」と見込んでいるようだ。

 政治を家業とすることはそもそもおかしいのではないか。世襲制限に反対する人は「判断は有権者がすればよいのであって、党が決めるのは個人の自由を奪うことだ」とか「優秀な人材であれば世襲であろうとなかろうと関係ないはずだ」といった原則論を展開している。民主党も自民党も世襲制限について、親族が政治家になることを禁止しているわけではない。同一選挙区から連続して立候補させないとしているだけだ。

 政治家になりたければ、誰もがそうしているように自らの政治課題や政治信条を訴え、支持者を募ればいい。親族の地盤、看板、カバンを引き継ぐことはやめようとしているだけだ。これは当たり前のことではないか。立候補者が自分の政策や思想を語らずに、後継者になることは全く有権者を馬鹿にした行為だ。けれども2世3世議員が多いということは、その方が候補者にとっても有権者にとっても手っ取り早いからだ。何が手っ取り早いかといえば、政治家が守ってきた利権をそのまま引き継ぐということである。

 何代も続くような政治家なら取り巻きの人々も多いはずだ。その取り巻きの人々が受け継ぎ守ってきた利権を引き継ぐばかりか膨らませることにもなる。官僚にとっても「よくわかっている人」であるから、やりやすい相手であろう。こうして政治が一部の「慣れた」「わかっている」政治家に集約されていく。これは歴史が示してくれている、政治が腐敗していく姿である。
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