友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あるがままではダメなのか

2009年05月20日 20時31分21秒 | Weblog
 久しぶりに電車に乗った。地下鉄にも乗った。今日は30℃にもなる真夏日と言われていたが、車内の人々は真夏の服装ではなかった。男性は背広姿であったし、定年を過ぎているような人は長袖のシャツであった。さすがに女子大生らにはファッションを先取りしたようなパンツルックが見られたが、それでも半そで姿は少数派であった。少数派といえば、マスクをしている人も本当に少ない。マスクと半そで姿はともに1割に満たない様子だった。

 失礼かと思いながら車内を見渡してみると、夏モードであることは間違いない。それでも真夏のような半そで姿やノースリーブ姿は稀である。素足の人は圧倒的に多いけれど、サンダル履きの人は少なくて、靴の部分だけの纏足のような靴下を穿いている。男性はまだ黒の革靴が9割以上だが、中には女の子と間違えそうなカラフルな色の運動靴の学生がいた。ピンクの靴下にピンクの運動靴のその学生が読んでいたのは、きわめて専門的で難解な物理学の本だった。

 視覚障害の方が乗ってきた時、真っ先に席を立って譲ったのは学生ではなく、その視覚障害の方よりも年齢は上の男性だった。また、2歳くらいの女の子を連れた若いお母さんが乗ってきた時に席を立ったのは学生風の男の子だった。ところが女子大生と年齢的には変わらないそのお母さんは好意を受け取らず席に座らなかったので、彼はそのまま座ることはなく立っていた。こういう時は座り直していいものか確かに判断に迷う。

 2歳の女の子はジッとしていることが出来ず、まだ覚えたばかりの言葉を発しながら、若い母親に絡み付いていた。ぐずったり甘えたりよじ登ったり靴を脱ごうとしたり、どうやらこの子は甘えて育てられたなと判断できるような子であった。母親はこの子を何歳で産んだのだろう。18歳か19歳の若さで生んだのかもしれないなと勝手に想像していた。彼女の前の女子大生はピチピチのジーンズを履いていたが、私には若い母親のダボッとしたジーンズが寂しそうな気さえした。

 地下鉄で車内放送があった。「名古屋市からのお知らせです」と前置きして、「名古屋市では新型インフルエンザ対策として、混雑した場所でのマスクの使用と外出からお帰りになった際には、うがいと手洗いを行なってくださいますようにお願いしております」。そんなこともするのだと思った。けれども、マスクをしている人は本当に数えるほどしかいない。この地域ではまだ大丈夫と思っているのか、それとも私のように騒ぎすぎではないのかとヘソを曲げているのか。

 あるがままに受け入れることが私たちは出来なくなっているように思う。暑くなれば冷房を入れ、寒くなれば暖房し、熱が出そうだと薬を飲み、人の臓器を移植してまで生きようとする。あるがままではダメなのだろうか。夏には夏のファッションがあり、冬には冬の服装があるように。
コメント
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