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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

女流作家は元気がいい

2009年05月07日 21時03分04秒 | Weblog
 連休中に何人かの女流作家の作品を読んだ。別に意識して女流作家を避けてきたわけではないが、心のどこかで男の気持ちを女は書けないだろうと思い込んでいたのかもしれない。逆に、女の気持ちを男が本当に言い当てているのか、疑問も残る。けれどもトルストイの『アンナ・カレリーナ』、バルザックの『ボバリー夫人』、イプセンの『人形の家』など、どれも女性が主人公で、その彼女たちの感受性や心の動きは実に見事だ。優れた作品というものは、男も女も関係なく、人間に対する洞察力とその表現力にあるようだ。

 女流作家は人間の心をよく捕らえているけれど、その人間が生きている社会とのかかわりが弱いとも言われるけれど、そういう目で見れば男性の作家が必ずしも人間を社会と結びつけて描いているわけではないし、女流作家の中にもたとえば大原富枝さんのような人もいる。大原さんの『アブラハムの幕舎』は、「イエスの箱舟」だったと思うけれど、そういう社会性のある人々を題材にした作品であった。ストーリーは忘れてしまったが、重い作品だったことだけが残っている。人の心の動きだけでなく、もっと社会全体の中で捉えている作品だった。

 年老いてから小説を読むと、意外なほど早く読める。作家が自分よりも歳若く、明治・大正の作家のような難解な言葉が少ないせいだろう。女流作家は男性の作品よりも読みやすいようにも思う。連休中に、田口ランディさんの『蝿男』、女流作家の小品を集めた『恋する男たち』、村山由佳さんの『ダブル・ファンタジー』を読んだ。『ダブル・ファンタジー』は500ページ近くもある長編で、劇作家の生き様が描かれていて面白かった。新聞広告などでは女の性欲を真正面から捉えた作品と書かれていたけれど、人の心をよく描いていて、若いけれどなかなかの作家じゃないかと思った。

 女に性欲はないとしたのは、その方がよいと思った男が作り上げたものだ。ただし、男も女も人間の性欲は動物のような生理的な欲とは違うと思う。食欲もただ空腹を満たすだけではないように、いや空腹の時はたとえば泥水も飲んだというし、戦争の時に兵隊は人肉も食べたというから、動物と変わらないかもしてない。しかし、性欲は飢えているからと満たすようなものではない。人間の欲は快楽を目指しているところが動物とは違うと、私は思っている。

 誰だったか、人間の性欲は幻想で成り立っていると書いていたが、私はその幻想を愛と呼称してよいと思っている。女流作家が女の性を真正面から取り上げ、人間に迫ろうとするのはすごいなと思う。村山さんはなかなかの作家だと書いたけれど、この作品が「週刊文春」に連載された作品であったために、読者に媚びた部分があり、それが残念な気がする。それにしても、何だか男よりも女の方が頑張っていないだろうか。
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