フランスの大統領選挙で現職のサルコジ氏が敗れた。当選したのは社会党のフランソワ・オランド氏だが、サルコジ氏のような華やかさはない。「彼で勝てたのだから、華のある候補なら圧勝したかも知れない」と書いていた新聞もあった。フランス語は分からないけれど、オランド氏がオバマ氏のように、人々を引き付ける演説をしているようには感じなかった。
ギリシアでの国会議員選挙では、中道左派と中道右派が交互に政権を担当してきた。第1党の中道左派の敗北は予想されていたことだが、第2党の中道右派までも議席を減らし、これまで総議席の3分の2を維持してきた連立与党は過半数にも達しなかった。その代わりに、財政危機に対する「緊縮政策に反対」で一致している極左と極右が議席を伸ばした。
ギリシアの選挙では、「各国から財政支援を受けているのに」という批判がある。我が家のカミさんも「財政再建に反対して、どうするつもりなのか」と言う。外から見ればその通りなのだろうけれど、ギリシアにしてもイタリアにしてもスペインにしても、社会保障は切り下げられ、税金は大きな増税となり、なぜこんなにも借金を背負わなくてはならないのか、国民の多くがそう思っている。
国民が選んだ政府が膨大な借金を作ってきた結果だとは分かっていても、感情的には「どうしてなんだ」と怒りが先に立つだろう。オランド氏は「緊縮政策ではなく、経済の清張政策を」と主張しているけれど、果たしてそんなことが出来るのかと私は疑問だ。フランスやギリシアばかりでなく、イタリア・スペイン・ポルトガルでも、いやドイツやオランダやベルギーでも、緊縮と増税の政策は国民の支持を受けないだろう。「他人のことより自分のこと。他の国より自分の国」という意識が強くなっているからだ。
「みんな勝手だから」という面が無いとは言わないし、きっとそうなのだろうけれど、だからこそこれまでのような経済成長によって豊かになろうとする政策は放棄した方がよいと私は思う。これからは、共産党も成し得なかった「不平等な平等社会」に向かうだろう。お金持ちもいれば貧乏人もいる。けれどもその差が小さい社会だ。それなら今と少しも変わらない。そう、そんなに大胆に変わらないけれど、格差が小さい社会になっていくだろう。そして大きな政府よりも小さな政府へと向かうだろう。
それは人々が望む社会だ。アメリカでもイギリスでも日本でも、働きたくても働けない人々がいる。みんなが少し働いて、みんなが少し豊かになり、みんなが少し楽ができる、そういう社会へ向かう過渡期にあるのだと思う。アメリカンドリームを求める若者たちには不満が残るかも知れないが、富が社会へ還元されていくなら、ドリームも悪くないかも知れない。名誉が残ればそれでいいとみんなが思えば簡単なことだろう。