友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分の軌跡を見つける

2012年05月25日 21時15分36秒 | Weblog

 中学の時のクラス会を開こうという話の時に、「どうしてそんな意味のないことをする。昔の思い出など話したって何も生まれない。馬鹿馬鹿しい」とひどく否定的なことを言う友だちがいた。10代を共に過ごしてきた友だちにそんな強い口調で言い張られると、「お前はそうでも、みんなは会いたがっているのだから」としか言えなかった。確かに彼の言うように、昔の思い出話は「あの頃はよかったね」とくらいのところに落ち着くだけなのだろう。けれども、その昔話の中から、自分の軌跡を見つけることはできる。

 自分がどういう人間だったのか、小学校・中学校・高校のそれぞれの場で、その時友だちはどう見ていたのかを垣間見ることも出来る。人は時々、自分を振り返り、自分の立ち居地を確認したくなる者なのかも知れないし、逆に前述の友だちのように、一切の過去を捨て去りたい者なのかも知れない。しかし、どんなに過去を否定しても、現在はその過去の積み重ねでしかないことも確かだ。過去は決して変えられない。むしろ過去を受け入れていくことで自分が作り出されていくような気がする。

 そういう意味でも、小学校の時の卒業記念文集は面白かった。今日、カミさんが彼女の中学校の同級生に会い、中学時代に発行された校誌のコピーをもらってきた。校誌は生徒たちの文集ではなく、学校全体のことが分かるもので、学校沿革史や学校経営の概要、生徒会の歩み、クラブ活動、卒業生の進路、図書室だよりなど、幅広い内容が盛り込まれている。生徒の作文は修学旅行、遠足、山の生活、伊勢湾台風などの体験記や読書感想文、それに随想や紀行や詩歌や創作と幅広い。ちなみにカミさんの修学旅行の作文を読んでみると、中学生の文章とは思えない美文である。

 「私はまだまんぜんとうつりかわる卯月のにおいをただよわせた景色にみいっていた。(略)コロセウム競技場に似た円形の国立競技場がなくても、イギリスの宮殿を思わせる国立図書館がなくても、やはり住みなれた“あの土地(名古屋のこと)”が私を、私の愛情を引きつけるのだ。果たして(やはりの意味)東京は、日本の首都としてそうであらねばならなぬ要素をそなえていた。しかし、私が期待し、欲していたまちではなかった。(略、富士の裾野に政治のまちを建設することを提案している)車内のざわつきに我にかえり、目をうつせば旅のつかれも忘れかけた笑いが車内を流れ、列車は静かな音をたて一路なつかしの名古屋にむかって走っていた」。

 私たちの中学校でも卒業文集を作ったような気がする。表紙は私が一度も追いつくことの出来なかった女の子が描いた。彼女は歌もうまかったし、何でも出来た。2年の時も同じクラスだったけれど、担任が「勉強ができるヤツは何をやらせてもキチンと出来る」と褒めていたことを思い出す。彼女よりも上になれたなら、もっと彼女と親しくしたいと思っていたが、結局は高嶺の花のままの遠い存在だった。私が近寄れる相手ではないと諦めていた。彼女は誰にも優しくて同性の女の子たちからも好かれていた。それにしても、私たちのあの文集はどこにあるのだろう。

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