女優の沢尻エリカさんが話題になっているのか、私のブログにもトラックバックがあった。結婚したとか離婚するとか、よく芸能ニュースで取り上げられている。顔立ちもよいしプロポーションもよいから女優としてはまずまずなのだろうが、私は関心が無かった。何時だったか新聞のテレビ番組紹介に、沢尻エリカが悪女を演じるとあった。土曜日の番組だった。どういうわけか、土曜日というのは見たくなるような番組がないので、どんな女優なのか見てみようと思った。
『悪女について』という題で、貧しい家に生まれた女が大金持ちになっていき、最後は自殺してしまうという物語だった。この女の10代から40代(?)までを沢尻さんが演じたわけだが、私の目には年代の差があまり感じられなかった。原作は有吉佐和子さんで、1978年に「週刊朝日」に連載されたものだ。テレビドラマでは巨額の富を築いていく過程がよく分からなかったが、女が本当に愛したのは誰だったのかという、「愛」についてはなんとなく分かる気がした。女は近寄ってくる男を踏み台にして実業家になっていくのだが、男を騙すだけでは巨額の富を築く実業家にはなれないだろう。
北海道から東京に出てきて、優雅な生活を送っていた木嶋佳苗という女性のことを思い出した。彼女を写真で見る限りでは決して美人とは思えないのに、男たちは彼女に多額のお金を渡している。彼女は「喜ばせてあげたのだから当然」と思っているようだ。話し方が優しいとか料理が上手とか言われているけれど、きっとそうなのだと思う。男たちは沢尻エリカさんのような美人が好きだけれど、美人ならそれでよい訳ではない。相手から愛されたていたいのだ。だからそのためにお金も使ったと思う。男たちは彼女に騙されているというよりも、自分の方を向いていて欲しかったのではないだろうか。
『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーは「人間の意識とは、いろいろな妄想や渇望や企てが混沌と雑居している場所であり、夢想のるつぼであり、恥ずべき考え方の巣窟なのだ。それは屁理屈の伏魔殿であり、欲情の戦場なのだ」と言っているが、この見解は間違いないと思う。人間の不可思議さこそは悪なのだろうが、だからこそ文学や芝居や映画は探求し続けてきた。人間が完璧に正義で清楚で純真であるなら、この世に哲学も芸術も生まれなかったであろう。
沢尻エリカさんがこれからどんな女優になっていくのか分からないが、清純さだけで長く女優を続けてきた吉永小百合さんも30代の時、脱皮しようとして大胆な濡れ場に挑戦したことがある。現在も俳優として活躍している人は、男優なら昔は悪役ばかりしていた人が多いし、女優ならヌードも辞さないできわどい場面を演じてきた人が多い。沢尻エリカさんが木嶋佳苗を演じられるようになれば、彼女はきっと大物女優になれるのではと私は勝手に想像している。