「政府の言う原発の安全性は信用できない」と言っていた大阪市長の橋下さんが、「机上の空論ではいかないのが現実の政治だ。一時的な稼動にご理解していただくしかない」と、大飯原発の再稼動を容認する発言に変わってきた。今、週刊誌の見出しを見ると、橋下さんしかこの国の混迷を救う政治家はいないという内容の見出しが多い。しかし、私は動物的なカンで橋下さんを支持する気にならない。
橋下さんは脱原発と言う。公務員の特権を排除せよと言う。利権政治を無くせとも言う。国民の多くが思っていることを代弁している。代弁しているから、国民の声をよく聞いているかと言えば、そうではない。橋下さんの思いは別のところにある。君が代斉唱で教員一人ひとりを監視することや、刺青をした職員に辞めるようにと言うところに、彼の本質的な怖さがある。名古屋市長の河村さんは「刺青はよくないけれど、しっかり働くことの方が大事」と言っていたけれど、考え方としては河村さんの方が正しいだろう。
河村さんも橋下さんも庶民の目線から言葉を発しているから、庶民の味方のように、庶民の方が思い込んでしまっている。減税(橋下さんはダメだと言っているが)、脱原発、市民自治、古い政治を変える、官僚政治からの脱却、公務員の天下りの禁止など、みんなが望んでいる単語や短文を口に出して大いに叫ぶ。論理立てというよりも、いかにも当然でしょうというように叫ぶ。だから国民の多くが「そうだ。その通り」と賛同する。
私は、橋下さんは思想として脱原発を持っているわけではないと思っている。利権政治や官僚政治を否定するが、民主主義とはどうあるべきかという発想からではないと思う。橋下さんは広く大衆の支持を取り付け、自分が描く社会づくりに向かいたいのだろう。まだ、君が代斉唱や刺青問題くらいしか、彼の思い描く社会の一端は見えてこないけれど、私はこれだけでも動物的に嫌悪してしまう。
大阪府知事の松井さんが今日、「関西広域連合を(大飯原発の)再稼動のアリバイ作りに使われた思いだ。僕は容認したのでも理解したのでもなく、(再稼動までの)プロセスが不十分だと言い続けていると述べ、橋下さんと若干の食い違いが露になった。けれども私には、「大阪維新の会」としてはどちらにも行ける逃げ道なのだとしか考えられない。野田総理と小沢さんが会談したけれど、増税はやむを得ないがその時期については、考え方が違うのだと表明した。思想としてはふたりとも一致しているが、実施時期が違うだけだと言っているようだ。
小沢さんは「民主党が描いてきた社会保障ビジョンが反映されておらず、消費税増税だけとなっている。これでは社会保障と税の一体改革とは言えない」と、野田内閣の政策を批判している。「大増税は納得できない。国民に大きな税負担をさせる前にやるべきことがある」と言う。ご自身の考えが受け入れられないなら、潔く辞するのかと言えばそうではないようだ。政府側の人も、小沢さんを切り捨てるわけではなく、何時までもあいまいなままにしておく方が得策だと考えているようだ。
言葉のやり取りだけ聴いていると、どっちが正しいのかよく分からなくなる。