今日は朝から強い風が吹いている。芽を出してきたサルビアの双葉が強風に耐えている。鉢植えのオクラの苗も頑張っている。野菜は育てないつもりでいたけれど、オクラは何年か前から育てている。孫娘にオクラの花を見せてやろうと思ったからだ。私はサルビアのような赤、朝顔なら空の色のような青が好きだ。けれどもオクラの花も綺麗だと思う。
中学生の時、川の水質調査のため、夜に自転車で堤防を走ったことがある。月の明るい夜で、川原に月見草が群生していた。それは異様なほど幻想的な風景で、これほどの美しい光景はないだろうとさえ思った。高校生の夏の夜に、再びそこを走ってみたが、やはり川原一面に月見草が咲いていた。
「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」という歌を口ずさんでいた。月見草という呼び方も美しいが、宵待草となるともっと哀れっぽい。恋人を待っているのに、恋人は現れない。悲しいことは重なって、月も出ない。恋は悲しいものだ。相手に伝わらない恋の悲しさを歌っていると勝手に思った。
私には中学1年の時に好きになった女の子がいた。高校も一緒だったけれど、親しく話す機会は一度もなかった。私は一方的に彼女のことが好きで、好きだということを伝えてもいないのに、どうして分かってくれないのかと思っていた。月見草の群生を見た時、こんなにも美しい光景はないと思うと共に、月見草は自分が美しいこと、その美しさを知っている男がいることを知らない、何という悲しい恋かと文芸部の機関誌に書いた。
顧問の先生からは「独りよがりの文章だ」と酷評だったけれど、父は褒めてくれた。どんな文章だったのか、もうその時の機関誌は存在しないだろう。彼女とは結局一度もふたりきりで話す機会がなかった。高校3年の何時かは覚えていないけれど、彼女の家が完成し、友だちが何人か招待され、以来そうした機会が度々あった。みんなでトランプをしたりして遊んでいたから、私はふたりの間は急激に接近したと思っていた。
冬の寒い夜、友だちの家からの帰りだった。その時はふたりだけだった。私は彼女から「あなたが好きなのは私ではなく、あなたが作った私なの。さようなら」と宣告された。私は何が何だか分からなかった。彼女が気ままで変わったところがあることも、彼女を好きだという男が何人かいることも、全てを知って受け入れ、好きになっているつもりだった。呆然としている私をおいて、彼女は泣きながら走り去った。後を追えばよかったのに、出来なかった。
月見草はマツヨイグサに属し、私が見たのはオオマツヨイグサが正式な名称らしい。竹久夢二がなぜマツヨイグサを「宵待草」と詠んだのか、私は知らないが、宵を待つという表現はうまいと思う。最近は月見草の群生を見ない。そう言えば、セイタカアワダチソウも見なくなった。昭和30年代が月見草の全盛期だったのだろうか。長く続かないのは自然の理なのだろうけれど、ちょっと寂しい気がする。