天候が荒れている。三重県地方にはカミナリ注意報が発令された。この地方でもカミナリが鳴っている。雨はそれほどでもない。カミナリが鳴ると梅雨明けだったけれど、今年はカミナリが鳴って梅雨入りの様相だ。午前中にルーフバルコニーでの作業をしておいてよかった。6月に入るとマンションの給水管取替え工事のために、我が家のルーフバルコニーは足場作りの場になる。北側の植木鉢は全て南側に移動して欲しいというので、その作業にかかった。
ミカンの木に大きくなったアゲハチョウの幼虫が2匹、サナギになるための場所を探して歩き回っている。そのうちの1匹がせっかく決めた場所から強風のためにずり落ちた。既に吸盤のある足は亡くなっている。このままではサナギになれないのではないかと心配して、とりあえず元の位置に近い鉢の上に載せておいた。昨年の秋、やはりサナギになったのに風のために飛ばされたものを両面テープで鉢に留めておいたが、1匹は羽化したけれどもう1匹はまだ何の兆候も無いから死んでしまったのだろう。
今、雨が止んだのでアゲハチョウの幼虫を見てきた。サナギの方は雨に打たれていたが、持ち上げるとわずかに動くので、またそっと元のところに置いた。雨の中で動き回っていたもう1匹は風の強くない場所を選び、植木鉢の中央にしがみついている。ミカンの木のどこかでサナギになる幼虫もいる。この方が安全に羽化できるのに、どうしてわざわざ地上に降りてきて、他の植木鉢によじ登ってサナギになるのだろう。偶然なのか必然なのか分からないけれど、ちょっとした違いが一生を左右する。
福井大地震でお姉さんを亡くした人の話を聞いた。お姉さんは叔母さんと映画を見に行っていて、地震に遭った。たまたま席を離れていた時に地震があり、お姉さんと叔母さんは生死を分けた。叔母さんは逃げる時、誰かに足をつかまれたが振り切って逃げた。逃げ切れたから命があったのだが、そのことに叔母さんは長い間悩んだそうだ。話をしてくれた彼女は、乗るべきバスに乗り遅れたために命が助かった。何が幸と不幸とを分けるのだろう。善行を積んだ者だけが生き残るわけでもないし、悪行の者が罰を受けるわけでもない。
今日は大和塾で講師を勤めてくださった俳優の舟木淳氏の『語りとトークの会』に行ってきた。傘寿記念とあったから80歳になられるのだが、そんな歳には見えないくらい元気だ。けれどもご自分でも歳のことを気にしてみえて、「あと何回出来ることか」と何度も言われた。耳が聞こえにくくなったことや脳卒中の手前だったことなどあり、気弱になられた。人前で自分をさらけ出して仕事をしている人は表舞台からの引き際は大事だ。もうちょっとやって欲しいと思われているうちでないと恥を晒すことになる。
個人なら、いつでもどんな形でも、引き際などというものが無い。いつも、明日に向かって全力投球でも、寝たり起きたりでも、酒を飲もうが歌を歌おうが、何をして過ごしてもかまわない。出来るだけ多くの人に会い、毎日が充実した気分なれるならこれ以上のことは無い。雨が止んで、夕日が差してきた。明日はどんな天気なのだろう。