友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

永遠の愛を求めて

2014年02月26日 18時02分43秒 | Weblog

 ソチ・オリンピックが終わり、ちょっと静かになった気がする。開会式の演出はさすがに芸術の国と思わせるほど見事だった。閉会式もかなり凝ったものだったけれど、ちょっと長すぎと感じてしまった。昔、県芸術劇場で一度、ボリショイ・バレイ団の『白鳥の湖』を観たことがある。白鳥の踊りは、チャイコフスキーの音楽と共に素晴しかった。バレイが誕生したのは何時代で、どうしてロシアで盛んになったのだろう。

 ストリーは単純で、ヨーロッパの昔話や童話に似ている。王子がいて、舞踏会に来た女性と結婚しなさいと言わる。その時美しい白鳥を見掛け、追っていくと、白鳥は湖で人間の姿に戻る。悪魔の魔法で白鳥にされた王女だった。ふたりは永遠の愛を誓う。王子の結婚相手を決める舞踏会で、白鳥にされた王女そっくりの貴族の娘が現れ、王子は娘に永遠の愛を誓ってしまう。それを見届けて悪魔は勝ち誇って高笑いする。最後は王子が悪魔を倒し、白鳥にされた王女の魔法が解けて、ふたりは結ばれる。でも、永遠の「愛」って何だろう。

 永遠の愛は存在するのか。永遠に求めているということは、存在して欲しいという願望の現われである。『麦の歌』3号に、昔から理屈っぽい男だった私の中学からの友だちが、「愛という表現によって非常によく他人を誤魔化すし、また、非常によく誤魔化されもする」と書いる。「自分たちに大切なのは何をするかではなく、自分たちがそれをする際の自由の程度が問題なのです。彼女と彼が何をしてもかまわない。つまり、その現実的目的のためではなく、観念的目的について、それが持っている意識の程度により、愛するということによって騙すか騙されるかということか、または真に愛することができるかということです」。

 21歳の男が書いた文章だから、自らの経験や感情が土台になっているが、「愛」はそんなものかも知れないと思う。日曜日に4歳の孫娘の発表会があった。終わった後で、ダンナの両親と私たち夫婦の4人で、酒を飲みながらいろんな話をした。お父さんは「孫娘が結婚する時は、高砂を謡って祝う」と言う。まだ20年は先になる。「ぜひ、私の分までお願いします」と頼んでおいた。

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