冬のオリンピックが真っ盛りだ。どこのテレビ局も報道を競い合っている。カミさんは中継を見たり、録画を見たりと忙しい。忙しいばかりか、極めて熱心に観戦し、「やった」とか「惜しい」とか「よく頑張った」とか、言っている。私はカミさんに付き合ってはいるけれど、そんなに熱心なスポーツファンではないみたいで、力が入らない。日の丸が揚がれば嬉しいだろうけれど、韓国の人がロシア国籍になったり、オーストラリアの人がカナダ国籍になったりするのだから、別に国家対抗でなくてもいいのにと思ってしまう。
ヨーロッパが統一され、関税も撤廃され、パスポートなしで隣りの国に行くことが出来るといった話を聞いた。自転車でヨーロッパを回っている若者の話も聞いた。これからの社会はEUのような連合体になっていくのかと思った。ところが最近のヨーロッパは国家対立が深まっているし、各国では移民排斥が強まっている。永世中立の国、スイスで国民投票が行なわれ、50.3%の僅差で移民流入に対する規制が支持された。EUの欧州委員会は「残念だ」と声明を出しているそうだ。
人は生まれによって差別されない「平等」とか、誰もが発言したり結社を作る「自由」とか、人の権利を認めてきた。自由の中には職業選択の権利や移動する権利もあったけれど、それは国内に限られていた。スイスはEU加盟国ではないが、EU諸国とは自由往来の協定を締結している。そのため、東側からやイスラム国から移民が増え、排斥運動が起きたようだ。財政危機のギリシアでは反移民のネオナチ政党が国会に議席を獲得しているし、ドイツやオーストリアでも同様の主張をする政党が勢力を伸ばしている。
戦争の悲劇は国家の存在が大きい。人は誰でも、どこへでも移動することができるとなれば、国境などは必要なくなる。「そんなことをしたら、この豊かな日本に大勢の中国人がやってきて、日本は中国に乗っ取られる」と言う人はたくさんいるだろう。明治以降、どこに住んでもよいとなったら、みんな田舎を捨てて東京に出てきた。世界中の移動を自由にすれば、人は当然住みやすいところへと移るだろう。そんな大きな実験がそのうちに行なわれる。そして何年か経てばまた、落ち着いていく。