友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「ケセラセラ、なるようになるわ」

2014年02月04日 18時20分51秒 | Weblog

 昼から風が冷たくなった。再び上空に強い寒気が到来し、寒さが一段と厳しくなると天気予報のお嬢さんは言っていた。確かに風が強く吹いている。一時だったが伊吹山の方角から真っ黒な雲が流れてきた。「こりぁー、雪だ」と思ったけれど、しばらくするとまた真っ青な空になり、太陽が輝いていた。太陽の位置やその輝きは、もうすっかり冬ではない。冬の太陽は小さくて元気なく光を放っているけれど、太陽の大きさも輝きの強さも冬とは違う。いや、違って見える。

 今年は寒暖の差が大きすぎて、本当に寒いのか暖かいのか分からない。こんなに雪が降らない冬も珍しい。それでもやはり、着実に春に向かっている。人はずっと、この繰り返しに希望を抱いてきた。「朝の来ない夜はない」「朝は希望の光」「冬が過ぎれば春が来る」、そして「人生は苦あれば、楽あり」と明日に望みをつないで来た。実際、苦しみばかりが長く続くわけではないし、楽しみばかりの人生でもない。それでも、どうしてこんなに辛い思いをしなければならないのかと恨んでいる人もたくさんいる。

 何もなければ、野生の動物のようにただ獲物を獲って食べて寝るだけの生活であったなら、憎しみも恨みも苦しみもなかっただろう。まだ、人間が食糧を蓄えることのない日々を送っていた頃は、互いに助け合うことはあっても、恨んだり妬んだりすることはなかっただろう。始めて誕生した人間、アダムとエバから生まれた兄弟なのに、神から認めてもらいたくて兄は弟を殺した。人間が誕生して、もう次の世代で殺人が行なわれたことをどう考えたらよいのだろう。

 どんな境遇にあっても、ひたすら真面目に生きている人々がいる。「社会の発展の原動力は欲望である」と言った人がいたが、人生を呪うことも他人を恨むこともなく、ただ黙々と働いて、欲張りもしない人もいる。物や地位を欲しがる人もいるけれど、他人の優しさを欲しがる人もいる。「ケセラセラ、なるようになるわよ」と生きていれば、いつか幸せが訪れるのだろうか。東京は午後から雪が降っている。明日はまた、真冬並みの寒さになるという。

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