友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『永遠のゼロ』が描いたもの

2014年02月02日 18時25分41秒 | Weblog

 映画『永遠のゼロ』は、百田尚樹さんの小説を映画化したものだが、かなりオリジナルな脚本になっているらしい。ゼロ戦の模型を使った空中戦のシーンや艦船の攻撃シーンなど、3DCG技術は高く、まるで実際の場面を見ているようだった。「臆病者」とか、「腰抜け」と呼ばれたひとりの戦闘機乗りの、真珠湾攻撃から南西諸島沖で戦死するまでを、孫が戦友から聞き取っていく形で展開していく。

 映画の前半では、なぜ「臆病者」とか「卑怯者」と呼ばれたのか、男が戦争の中で大切にしてきたものは何か、を解き明かしていく。男は心根が優しく、妻思いであるのがキーワードだろう。後半では、男がなぜ特別攻撃隊に参加するのか、しかも乗り込む時になって機体のトラブルを見抜き、そのゼロ戦を後輩に譲り自分は戦艦に体当たりしていったのか、その苦悩と気持ちの変化を描いていく。

 この映画は反戦映画のようにも見えるし、戦争というギリギリの状況を背景に背負った男の生き様を描いているとも思う。爆弾を抱えての体当たり攻撃は「十死零生」であって、作戦などと言えないと叫ぶシーンがある。絶対国防圏が落とされてしまったのに、戦争を続けた人々への批判とも思われる。男は「生きて帰る」と公言し、死ぬよりも生き抜くための操縦を教えてきたが、誰も救えない。

 特攻に出る時、以前、空中戦で自分を助けてくれた後輩が乗り込む機と交換をする。それは後輩の命を助け、自分は死ぬということである。「生きて帰る」と言い続けてきた男は、死を選択する。臆病、卑怯、腰抜けもここまでと思ったのか、自分を助けてくれた後輩への恩義と思ったのか、いずれにしても男には「国家への忠誠」は余りない気がした。最後の土壇場で、どういう行動を取るのかで男の価値が決まるのだろう。

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