友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ウクライナでも暴動

2014年02月21日 17時38分04秒 | Weblog

 ソチ・オリンピックの街から北東のところにウクライナという国がある。私の子どもの頃は、ウクライナもその北のベラルーシもソ連領だった。ウクライナ地方は農業も工業も盛な地域と学んだ。ソ連の崩壊に伴い独立国になったけれど、EU寄りの政治グループとロシア寄りの政治グループの対立が深まり、とうとう死者まで出る暴動になっている。

 ソチ・オリンピックの開会セレモニーで、ロシアの歴史が映像と人々の動きや踊りで見せられ、観客を魅了していた。装置も素晴しかったし、演技も素晴しかった。古代ギリシア時代に西から人々がやって来て住み着いた。人々は土地を拓き耕し、やがて国を創った。ロシア革命をどのように描くのかと興味を持って見ていたが、すぐに工業化が進み、豊かな社会になってしまった。

 ソ連時代にどれだけの民族がいたのか知らないが、ロシアになった今もたくさんの民族が暮らしている。民族の融和が政治の大きな課題であることは今も同じだ。ウクライナでの暴動は、ロシア寄りの政権に対する反発から生まれているが、反対派内はそれぞれに思惑があって制御不能になっていると報じられている。

 先頃、読んだアーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』を思い出す。ロシア革命の後、スターリンが政権を掌握し、反対派を粛清する。レーニンらと共に革命を遂行したブハーリンは粛清の対象となり、裁判にかけられる。小説はこれを下敷きに、ブハーリンの苦悩を通して、政治とは革命とは何かを描き出している。

 その中の、古参革命家が若い審問官から尋問を受ける場面は凄まじい。リアルなのは筆者が尋問を受けた経験があるからだ。独裁者を暗殺しようと計画したと詰問され、「政治的行動を口にしたが、個人を狙ったテロのことではない」と答えると、「内戦を望んだのか」と言われ、「違う、大衆行動だ」と答える。けれども彼は以前、「独裁体制に反対する者は、手段として内戦を認めなくてはならない。内戦から尻込みする者は、反対行動を諦め、独裁体制を受け入れなくてはならない」と主張していた。

 ウクライナの人々が死者まで出た暴動を支持しているのか、そうしなければ政治は変わらないのか、どこまでもいつまでも人間は変わらないものなのか、不思議な気がすると共にまだまだ時間がかかりそうな気もした。

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