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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

才能を開花した人、できなかった人

2014年02月06日 17時43分53秒 | Weblog

 佐村河内守さんの名前を知ったのは、盲目のピアニスト・辻井伸行さんを知った後だと思う。目が見えない、耳が聞こえない、そんな大きな障害を背負いながら、優れた感性と能力を備えた人がいると感心した。人一倍鋭い感覚を持っていても、磨き上げなければ並みを超えることはできない。辻井さんは小さな時から音に対する鋭い感性を持っていたけれど、なんと言ってもお母さんがそれを伸ばす機会を作ったと思う。

 佐村河内守さんの生い立ちやどのようにして作曲家になったかは知らないけれど、彼を有名にした交響曲第1番『HIROSHIMA』は素晴しい曲だと思う。その佐村河内守さんの作品は別の人が作曲したものだという。真相は分からないけれど、朝のニュースで報じられたものを見て、たとえ佐村河内さんが楽譜を起こしたものでないとしても、共同制作でいいのではないかと思った。佐村河内さんが作曲家の新垣隆さんに渡したメモは、楽譜こそないけれど曲の流れや小節毎のイメージなど、実に細かく指示している。

 新垣隆さんは佐村河内さんの曲想がなければならなかったし、佐村河内さんも新垣さんがいなければ世に出ることもなかっただろう。ただ、新垣さんにすれば、佐村河内さんがもてはやされればされるほど悔しい気持ちが心を占めていっただろう。佐村河内さんは「原爆2世の闇」を口にしてヒーローへ上がって行ったために、引き戻ることができなくなってしまった。共に欲が互いを破滅へと追いやった。佐村河内さんは「死んで詫びるしかない」と言っていたから、きっとそうするだろう。

 作曲という才能、自分を悲劇の主人公として演じる才能、どんな才能もあり過ぎると悲劇が生まれるのだろうか。いや、どこかでボタンを掛け違えたけれど、やり直す前に人気が出てしまい機会を失った悲劇だろう。今日、日展を観て来た。いつものことながら大勢の人で込み合っていた。平日の昼間のせいか、入場者のほとんどは老人だった。中には私と同じように、絵描きくずれが何人かいて、作品を評論して回っていた。才能を開花させることのできなかった人たちである。

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