9年前のこと、「今度、『60歳の集い』を開きますから、必ず出てくださいね」と、社会福祉協議会の事務長から言われた。彼とは、彼のカミさんが元気な頃からの知り合いだ。若くして亡くなったが、そのためなのか、彼は地元での活動が増えた。頼まれたらイヤとは言えないのが私のクセ、出かけて行くと、“集い”の代表幹事は次女の友だちのお父さんで、私もよく知っている人だった。以来、一度も欠かさずに出席している。その代表幹事が亡くなり、私が彼の役を引き継ぐことになった。
引き受けた以上、次ぎにバトンタッチするまでは途絶えさせるわけにはいかないし、むしろ盛大な“集い”にしようと努めてきた。宴会で一番気になるのは、ポツリと孤独になっている人がいないかということだ。みんなが楽しんでいるのに、話す相手もいなくて、周囲から孤立している人はいないかと見て回る。それらしい人がいれば声をかけ、お酒を注ぐ、あるいは近況報告の続きを聞く。大勢の集まりの中にいて、話す相手がいないことくらい辛いことはない。
私が席を回っていると、「ちゃんと食べられていますか?そんなに気を遣わなくてもいいですよ」と声をかけてくれる人もいる。「ズゥーと代表をやってもらいたい」と言ってくれる人もいる。この土地で生まれ育ったわけでもない私を仲間に迎え入れてくれて、ありがたいと思っている。役にある限りは喜んでもらえるように努めたい。小学校のクラス会、中学校のクラス会、高校の新聞部の集まりなど、同年で集まる機会はあるけれど、この地での同年の集まりもようやく馴染んできた感がする。
今日、国際交流フェスティバルの会場で、60歳を少し越したばかりの友だちと立ち話をした時、「最近、先のことをよく考えるのですよ」と彼は言う。「もう、先は長くないじゃーないですか。何か遣り残したことばっかりで、ああすればよかった、こうすればよかった、そんな風に思うことはありませんか」。「人間、みんなそうじゃーないの。満足な人生なんてないさ。過去のことを考えたら悔やむことばかりだ。でも、過去から学ぶことはできても、過去の時間を取り返すことはできないよ。やりたいことがある。それは生きたい証だから、怯まずやればいい」と、私はエラそうなことを言う。