いよいよソチ・オリンピックのフィギア女子が始まる。浅田真央さんか、それともキム・ヨナさんか、ロシアの15歳の少女か、そんな話題で持ちっきりだ。誰が勝ってもいい、メダルが何であろうと、いや、メダルがなくてもいい、選手はベストを尽くして競技している。「わが国のメダルの数」などと言う必要もない。それにしても、競技で1位になった選手ではなく、日本選手の映像ばかりが流されるのかと思う。
競技では見られない善意やエピソードを紹介することに難クセをつけるつもりはない。日本人選手の活躍を取り上げることにも異論はない。けれど、もう少しその競技の素晴しさや美しさ、あるいはスポーツの技や難しさを取り上げ、解説してくれてもいいのにと思う。オリンピック報道に少々食傷気味な私は、オリンピック報道をくまなくチックし、録画に余念がないカミさんが眠ってしまったので、これ幸いと映画を観た。
イギリス映画『リトル・ダンサー』だった。2000年BBCフィルム制作とあったからイギリスの国営テレビが作ったものだろう。映画の舞台は、1984年の北部の炭鉱の町で、不況の影響でストライキが続いていた。父親は炭鉱夫で少年の兄も同じく炭鉱夫で組合の先鋭である。母親は亡くなっている。少し認知症の祖母がいる父子家庭だ。父親は少年をボクサーにしたくてジムに通わせているが、ストのためにジムの一角にバレイ教室が移ってくる。
殴り合うボクシングが嫌な少年はバレイに興味を抱き、バレイ教室の先生の計らいで父親に黙ってレッスンを受けるようになる。やがて父親の知るところとなり大目玉を食らう。「なぜ、男がバレイをしてはいけないの」と少年は言う。父親は「男ならボクシングかレスリングだ」と怒鳴るが少年は納得しない。バレイ教室の先生に「ロンドンのロイヤル・バレイを受ける素質がある」と言われて父親は息子のためにスト破りに加わる。少年は合格し、ロイヤル・バレイの舞台に出る。これを父親と兄が客席で見守る。
そんな映画だったが、ストライキ、父子家庭、貧困、友情などを背景に、好きなことをやりたいと向かっていく少年の姿がよく描かれていた。バレイ教室の女の子が少年に「私のあそこ見たい?」と聞く。少年は「見たくない」と言う。随分過激なセリフだが、淡々とした描写の中の1コマで、少年期を見事に表していた。