市民がそれぞれ得意の分野で、団体を結成し市民活動を展開する。市はその事業に補助金を出して応援する。そんな、市民と市との協働事業が盛んに行われるようになった。市民が行政に関心を持つだけでなく、自ら進んで行政の一翼を担うことになり、行政では出来にくい細かなサービスを提供する形にもなる。
どこの自治体でもこのような市民参加の手法を取るようになってきた。こんな活動にまで補助金を出すのと疑問に思う事業もある。例えば歯科医が歯科衛生について講習会を開催するのは職務としても正しいと思うが、一歩間違えれば自院の宣伝になりかねない。ボランティア活動であっても自分の利益に結び付くようなら、やはり問題も起きるだろう。
学習困難な児童を支援する活動も最近注目されている。私の友だちも「こういう活動ならまだまだぼくらも出来るんじゃ―ない」と言うが、実際には場所がない。行政が場所を提供してくれるならよいが、学校の空き教室を使うとなると個人や市民団体では無理がある。それに、市民活動の重要な担い手は女性と私たちのような年金生活者が多く、社会の中軸にいる世代は地域にまで目が向かない。
市民レベルが向上しなければ社会の本当の意味で改革は進まない。市民活動の団体が集まっても、補助金の奪い合いや他団体の非難が先行するようなら、結局は行政主導にならざるを得なくなる。もうひとつ気になるのは、行政の一環をボランティアやNPOが担うことで、行政は無駄な支出を減らしたと得意がるが、無駄な事業を増やしたり、低賃金の人を増やすことにもなる。
スリムな行政にすることは大事だが、そもそも行政とは何かを考えて欲しい。さて、今晩は「市民による 市民のための 勉強会」である大和塾のOB会を開く。どんな話が飛び出すか、楽しみだ。