友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

如月初日の憂鬱

2019年02月01日 17時30分13秒 | Weblog

  時間は早い。もう如月に入ってしまった。会いたい人に会えないまま、時間は確実に過ぎていく。人生の目的など、死んでもきっと分からないだろう。生きている意味も、自分が何に向いているのかも、何が良くて何が悪いのかも、全てのことが曖昧模糊としている。それでいいのだ、残念ながら明確なものは何も無い。私には何も見えない。

 今朝、友だちと喫茶店でコーヒーを飲んだ。先日も82歳になる先輩から電話がかかり、いつもの喫茶店で会った。その時は370円だったが、今朝のコーヒーは500円。ちょっと高いし、苦かった。それでも店は女性客で埋まっていた。先輩と入る喫茶店は、高齢者で満席だから、客筋は全く違う。友人が「年金喫茶」と呼ぶ店も高齢者が多く、コーヒーは350円。

 「顔色、良くなったね。それに以前は覇気がなかったのに、元気になったみたいだ」と言うと、「原因は分からないが数値は安定してきている。食べる物も全く変わらないのに、不思議だ」と友だちは答える。「女房も仕事止めたから、毎晩酒飲んでるし、気が楽になったことが一番かも知れん」と笑う。彼は美術館巡りが好きで、カミさんとよく出かけている。それもきっと健康法の1つなのだろう。

 余りにも悲惨で理不尽なことが多いので、テレビや新聞は見たくないが、「世間のことは知っておかなくちゃー」とカミさんがテレビをつけるので、やっぱり見たり聞いたりしてしまう。どうして人は、人を殺してしまうのだろう。金とか物品を奪うとか、恨みがあるとか、そんなことでどうして人の命まで奪うのか、情ない。貧富の差が大きいことも原因かも知れないが、差が無くなれば確かに事件はもっと少なくなるだろうが、残念ながらゼロにはならない気がする。

 理由は分からないが、自分の子を殺してしまう親もいる。数学よりも物理よりも、もっと分からない。嫌な世界に生きている。それでも死ぬまでは生きているだろうから、如月の初日なのに、なにか気が重い。苦いコーヒーに500円払ったことも原因なのか、そんな小ささが嫌なのかも知れない。

 

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