最近の週刊誌は「死後の手続き」を特集したものが多い。『週刊現代』や『週刊ポスト』が競ってそんな特集を組んでいたが、『週刊文春』や『週刊朝日』までも続いている。以前は、医療や薬品の特集が多かったし、健康に関するものが人気だった。私は健康や医療には興味がないが、書店で「身内が亡くなったときの手続き」と書かれた『クロワッサン』(2016年11月発行)を見た時は、すぐに買い求めた。
購読者層に高齢者が多い週刊誌の売り上げは落ちているそうで、高齢者の関心が高い「健康」や「医療」、「年金」や貯蓄」、そしてとうとう「死後の手続き」へと移ってきたのだ。発売日の翌日にコンビニへ行ってみたが、既に並んでいなかった。書店でも「すぐに売り切れてしまう」という。先日、喫茶店で高齢の人が、週刊誌を見ながら熱心にメモを取っている姿を見かけた。夫が亡くなって、あるいは両親が死んで、「その手続きで苦労した」話をよく聞く。
父親が亡くなって、兄と妹のふたりきりの子どもが遺産でもめている話も聞く。病気の父親の面倒を看て来た妹は遺産の多くを要求するし、兄は面倒をかけた妹に遺産を全て渡しても良いと思っている。ならば円満に遺産相続できるように思うが、いざ、となると欲が出てくるのが人間である。仲良しだった兄妹が不仲になってしまうケースもある。兄に妻がいて、妹に夫がいると、さらに複雑になってしまう場合もある。
旧約聖書によれば、人類の最初の殺人は、アダムとイブのふたりの息子の間に起きた。兄のカインは土を耕し、弟のアベルは羊を飼った。神への感謝にカインは農作物を、アベルは羊の初子を捧げた。神はなぜか、アベルの羊に目をとめたのに、カインの農作物は無視した。強い怒りと嫉妬にかられたカインはアベルを殺してしまう。人間の愚かさを呪いたくなる。けれどもなぜ神はカインの供物を無視したのだろう。
人と人だけなら仲良くやっていけたのに、神の存在が妬みや憎悪を生むのはなぜなのか。年寄りが命を終わるのは必然なこと。そのことで身内が争うことのないように、やっぱり「死後の手続き」を読んでおく必要があるのだろうか。