昨日の夕方、この春から大学生になる男の子がやって来た。私が、「あげたい本がある」と言ったので、本を受け取るために来たのだが、それだけではなさそうだった。彼は中学生になって、登校できなくなっていたが、高校は彼のような子を受け入れてくれる学校に通い、大学も見事に合格した。姜尚中さんを私たちの市民講座の講師に招いた時、私は彼を姜さんに逢わせた。
姜さんは講演の中でも、「やり直しは何時でもできる」と話してくれた。また、プレゼントした姜さんの若い人向けの著書のおかげで「考え方が変わった」と言い、「春休み中にもっと本を読もうと思って」と、我が家の書棚を見回した。姜さんが取り上げる夏目漱石の本は私の書棚にはない。私は漱石よりもドストエフスキーやジイドが好きだったので、その理由を彼に説明した。また、「学校は評価を数字で表すが、それはその時の学校の評価で、絶対なものではないよ」とも話した。
話していて、高校生の頃を思い出した。高校は地域の進学校で、父も兄も卒業した母校でもある。試験の結果を上位70人だったか80人だったか、一覧表にして張り出したが、成績の悪い私の名前は無い。そんな学校の方針に反発していたので、一覧表を見ようともしなかった。いや、見るのが怖かった。新聞部で新聞を作ることが唯一の楽しみだった。黒板に記事を書き出し、行数を示し、担当を決める。
みんなが書いてきた原稿に目を通し、割り付けを行い、印刷してもらっていた名古屋タイムズ社へ出かけて、担当の人に渡す。1年生で初めて原稿を持って行った時、「これではダメだ。新聞になっていない」と叱られ、新聞の割り付けの基本を教えてもらった。母校の新聞は1段が90行の15段タブロイド判2ページだった。1行の文字数は15字、原稿用紙は1枚が10行、1つの記事は5枚から7枚だから750字から1050字で、もちろん論説や中日春秋のような囲みもあった。
明日は、その時の仲間の葬儀に参列する。一瞬かも知れないが、高校時代の雰囲気を味わうことになるだろう。たとえ、74歳のジジババであっても。