友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

みんなで幸せになることは難しいのなら

2020年03月23日 17時48分47秒 | Weblog

 結局、『テセウスの船』は私にはよく分からなかった。真犯人は分かった。自分の母親が芋煮に間違って毒キノコを入れてしまったために、大勢の人(?)を殺すことになり、家庭が崩壊したので、母親を捕らえた巡査を恨んでの犯行だった。毎回、いったい誰が犯人なのかと思わせる展開は見事だったが、それだけになぜか結末には納得が出来なかった。

 ストーリーが面白ければよいのかも知れないが、私はどうしても何が伝えたかったのかと考えてしまう。最終回で、冤罪だった父親が出所したのか、家族が揃ってお祝いをしていたから、家族愛がテーマだったのだろう。犯人も家庭を壊された恨みからの犯行なので、ここでも家族が重要な要素であろう。

 家族の誰かが罪を犯せば、たちまち家庭は崩壊してしまう。「犯人はあそこの家の人」とうわさされ、住み続けることが出来なくなってしまう。家族に障害者がいるだけでも、人は好奇な目で見てしまう。だから、「津久井やまゆり園」の被害者でありながら、名前を公表しにくい社会なのだ。新型コロナウイルスに罹っても、同情よりも好奇な目にさらされる。

 家族が仲良く暮らすのが一番の幸せなら、地域が国家が世界が仲良く暮らすことが一番幸せなのに、どうしていがみ合うのだろう。自分よりも幸せな家族を見ると、幸せな気持ちよりも妬ましく思ってしまうのだろう。みんなで幸せになることは難しいのなら、せめて嫉妬したり恨んだりしなければ、いいのにと思う。我が家のツツジは満開になったが、強風に耐えている。

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