『評伝 西部邁』を買った時、井上荒野さんの『あちらにいる鬼』と高橋源一郎さんの『論語教室』の2冊を一緒に買って来た。論語は私たちの日常に根付いているが、高校の時の漢文でも習ったけど、名言・格言という程度しか知らなかったので、高橋さんがどうな風にとらえているのかと興味があった。
最初に手にしたのは『評伝 西部邁』だったが、気分転換のつもりで読み始めた『あちらにいる鬼』に嵌ってしまった。井上光晴と瀬戸内寂聴それに井上の妻の3人の、心の物語と言った方がふさわしい小説だった。瀬戸内さんはテレビで観る尼僧姿しか知らず、小説も読んだことがなかった。
初めて、大杉栄と伊藤野枝を扱った『美は乱調にあり』を読んで面白かった。大杉栄は興味深い人物だったし、平塚らいてうの女性解放についても知りたいと思って読んだが、瀬戸内さんを評価できる作家だと思った。けれど、井上光晴と男女の関係にあったとは知らなかった。
私が大学生の頃、井上光晴、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高の名を、「図書新聞」だったか「読書人」だったか、大学の図書館にあった新聞で眼にした。これらの人の作品は読んだことがなくても、共産党知識人に代わる新左翼知識人と鮮明に覚えている。その井上光晴が瀬戸内さんとどうして結ばれたのか、『あちらにいる鬼』を読んで分かった。
しかも、井上の妻と瀬戸内さんが「同志」になってしまう心の動きもよくわかった。「好きになったら、どういう環境かは関係ない」と瀬戸内さんは言い切り、妻は「夫は自分を必要としているから別れるつもりはない」とふたりの関係を認めている。凄まじい愛憎のようでありながら、そこには憎しみが無い。