友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思い出の小学校のジオラマ

2020年03月04日 17時16分40秒 | Weblog

  

 「千載一遇の友」である小学校の同級生から小包が届いた。私たちが卒業した小学校の、昭和38年当時のジオラマを、彼がパワーポイントで作成したA4判24枚入っていた。ジオラマは私たちの担任らが創立90周年を記念して制作したものらしい。

 6年の時の私たちの教室は今、郷土資料館となっていて、そこに展示されているものだ。私が訪ねた時も既にあったかも知れないが、あまり気に留めなかった。それなのに、こうして何枚もの写真を改めて見ているととても当時が懐かしく感じられた。

 昭和38年が創立90周年であるなら、昭和28年が80周年だが、私の記憶では6年生の時、創立を祝って児童会役員で国旗掲揚をしたが、あれは85周年だったのか。明治政府が学制を施行した翌年に発足した地域で最古の小学校だ。城跡を利用した校舎で、学校の中に谷があり、小川が流れ、沼のような池があった。

 5年生のクラスは何故か分からないが、始業時間より早く集まって、その池で遊んでいた。ある時、誰かが「今日はストライキだ」と言い出し、学校の西にあった公園へとみんなで移動した。当時の工場は赤旗が立ち並びストライキが盛んに行われていたから、オヤジたちを真似たのだろう。遊びの延長だったのに、いつの間にか抜け出して学校へ帰る子もいた。

 「ここにいたら捕まるぞ」というので、公園からさらに西の境川へと進み、川上へ向かった。自転車に乗った教頭がやって来て、学校へ戻ることになった。最後まで行動を共にした子は何人だったのだろう。校長室の隣りの応接間で注意を受けた。担任の若い女性教師が泣きじゃくっているのを見た時、とんでもないことをしてしまったと知った。

 私の父も校長だったから、きっと肝を冷やしただろうが、特に叱られなかった。いつかのクラス会で、「多分、先生の気持ちを引きつけたかったのではないか」と話した。大人になる前の男の子が、若い女の先生に抱いた恋心の変形だろう。先生の白いブラウスがとってもまぶしかったことをよく覚えている。

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