友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「津久井やまゆり園」事件の犯人に死刑

2020年03月18日 18時13分57秒 | Weblog

 神奈川県の「津久井やまゆり園」の入所者45人を殺傷(うち死者は19人)した犯人に死刑が言い渡された。「障害者は生きるに値しない」と考えての犯行だった。「人を殺しておいて、よくそんなことが言える」と思う人は圧倒的に多いだろう。けれど、どこかで「障害者ってめんどくさい」と思う人もいる。

 障害があるというだけで、同情が裏返ったような差別した目で見てしまう、そんな場面があった気がする。私の子どもの頃なら、新型コロナウイルスのように、「うつる」とまで言われていた。死刑の宣告を受けた犯人は、「死刑に値する罪ではない。時間と金を奪う重度障害者に基本的な人権は無い」とまで言っている。

 それでも、私は死刑でいいのだろうかと思う。彼はどんなに長く時間をかけても、自分の行為を反省することはないのかも知れない。だけど、人を殺したから死刑というのは、なぜか納得できない。犯人は人を殺しても何とも思わない極悪非道な人物だから死刑が当然というのは、「生きるに値しないから殺した」と同じ考えではないのだろうか。

 小4の娘を「しつけのため」と殺した父親は、「しつけが行き過ぎた」と言うが、「虐待はしていない」と強弁する。しつけのためなら多少手荒なことも許される。あるいは、「役に立たない人間は要らない」、そうした考え方がある限り、やまゆり園のような事件や親による子どもへの虐待は無くならない気がする。

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