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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

晴れているのに雨が降ってきたりして

2020年03月05日 17時59分18秒 | Weblog

 晴れているのに雨が降ってきたり、冬に逆戻りしたように冷たい風が強く吹き付ける。いい時もあれば悪い時もある。私は戦後育ちの三男だったからか、可愛がられて育った。小1の時、「桜祭り絵画コンクール」で描いた絵を担任が絶賛し、あるはずも無いのに「ピカソになるかも知れない」と母親に話したことから「絵の塾」へ通うことになった。ストーブで焼いた干し芋を食べたことは覚えているのに、「絵の塾」で何かを教えてもらった記憶がない。

 小4の時、不登校になったが、ボスに対して「イヤだ」と言えない自分が情けなかった。5年のクラスは気のいい友だちに恵まれ、自分を変えるきっかけになった。引っ込み思案で消極的な自分を変えようと決意した。小6の時、ラジオで「ルーテルアワー」を聞いていて、キリスト教に興味を持った。図書館で『アンクル・トムの小屋』に出会い、夢中で読むうちに聖書を読みたいと思った。中学校へ通う道の傍にルーテル教会があったので入り込んだ。「中学生聖書研究会」を作り、友だちも誘った。

 高校生の時、アメリカ人の牧師から「牧師になるよう」に勧められたが、自分はその器でなかった。「アメリカ軍がベトナムを空爆する」ことが正義とは思えなかったし、私の心に純情な恋心と邪悪な肉欲が葛藤していて、今なら、だからこそ人は信仰の道を歩むと言えるが、当時の私は正か悪かで悩み苦しんでいた。遠藤周作の著書だと思うが、「信仰とは理解することではなく、受け入れること」といった言葉に納得できたが、もう信徒になる気は失せていた。

 高3の1月に父親が亡くなった。映画監督になりたいとか、造園設計士になりたいとか、新聞記者になりたいとか、夢は夢でしかなかった。兄貴に「大学の入学金は払ってやる」と言われ、東京に出てストリップ劇場の看板描きになる下賤な夢も消えた。大学は授業料免除で奨学金がもらえ、家庭教師で小遣いまであった。ところが2年の時、我が家は倒産し、家族はバラバラとなり、私は大学の先生の家に住まわせてもらった。

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