夏祭りの夜店や春の桜の宴など、仲間でやってきた友だちが亡くなり、そろそろ四十九日を迎える。「花をお供えしましょう」ということになり、供花の手配や仲間の一覧など、事務的なことを引き受けた。私にはこうした仕事が合っているようだ。
高校の時の新聞部の集まりも、教員になった時の同期の仲間の集いも、事務連絡は私の係りである。新聞部の方はふたりも亡くなり、集まりの意味が薄れてしまった。教員の方は先輩教員も参加してくれるので開催したいのだが、コロナ禍で開けずにいる。
今年は実行できるのだろうか、まだ見通しが立たない。早く終息してくれと祈るばかりだ。ロシアのウクライナ侵攻についても、地震やその他の不幸な事件を目にしても、人は何と無力なのかと思う。誰もが戦争はダメと思っているし、誰もが人の命は尊いと言うのに、なぜ防ぐことが出来ないのだろう。
私の市では、4月に市長選挙と市議会議員選挙が行われる。私の住むマンションの郵便受けにも候補者の政策ビラが投げ込まれる。マンションの自治会は、チラシなどを入れる場合は管理事務所の許可を得るようにと、警告文を掲げている。
住民の中には、チラシを受け取らずにホールに放って置く人がいるので、チラシを少なくするためのようだ。私は管理事務所が許可を与えたり与えなかったり(そんなことは無いと思うが)、そうした権限を持っているとは思わない。
チラシは情報である。それを受け取るか拒否するかは各人の権利である。家に持ち帰り、不要な物なら処分すればいい。受け取る前に、管理事務所がダメと言い出すのは、プーチンと同じ発想である。
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