韓国ソウルの繁華街で29日の夜、狭い路地に大勢の人が詰めかけ押し合う大惨事が起き、日本人女性ふたりを含む155人が死亡した。昨日のテレビは、なぜこのような雑踏事故が起きたのかを中心に、東京渋谷や名古屋栄のハロウィーンの様子を放映していた。
ハロウィーンが世界中に広がったのはいつからなのだろう。もともとは古代ケルト人の秋祭りで、収穫に感謝してみんなが仮装して楽しむ行事のようだ。仮装する祭りは各地にあるから、人は別人になりたい願望を持っているのかも知れない。
仮装していた日本の女子高生がインタビューに答えて、「警察に守られてるから、心行くまでバカ騒ぎできる」と答えていたが、日常ではありえないことをするのは快感なのだ。そうだ、祭りはどこでも非日常だ。日常から解放された時間と空間は大きな快楽である。それだけ、多くの人がストレスを抱いているのだ。
ハロウィーンは仮装するが、どこで何をするという終わりが無い。子どもの頃、年末年始に熱田神宮に行くと、身動きできないくらい混雑していた。けれど拝殿にたどり着けば、それぞれが別れて帰路に着く。ハロウィーンの場合は仮装して歩くだけだから、いつまでも止まって終わらない。
誰彼の区別なく、みんなハグし合い、写真を撮り合っている。ジイジはその時思った。桃太郎のジジイに扮してハロウィーンに参加したなら、若い女の子とハグ出来るのではないか。元々ジジイだから、演技などしなくてもジジイに見える。これはいいアイディアだと思ったら、隣りのバアバに「アホなことばっかり考えて!」と叱られた。
ジイジにもバアバにも非日常はやってこない。
30年前の日本人留学生射殺事件。
完全に忘れ去られてしまいましたが
アメリカの銃社会が生んだ悲劇…