小学校で運動会が行われていた。快晴にはならなかったが雨の心配はなく、保護者はもちろんジジババなど大勢の人が応援に来ていた。校庭の隅には早々とブルーシートが敷かれ、家族や親族が陣を組んでいた。子どもたちの席の後ろには、保護者のイスもあり、我が子への声援が飛び交っていた。
子どもたちの行進は乱れることなく、まるで私たちの子どもの頃と変わらなかった。「ゆとり教育」や「自由教育」から、「見せる教育」へ変わって来たのだろうか。先生たちも大きな声で、「ガンバレ!ガンバレ!」と子どもたちに檄を飛ばす。運動会が好きな子どもたちは、何をやっても楽しいようだ。
今、子どもへの指導のあり方が問題になっている。宿題をやって来ない小1の男児に、女性担任が罰として給食を減らす指導をした。ほとんど毎日、3ケ月ほど続いたようだ。男児は給食が食べられず、帰宅するとご飯を3杯も食べたという。両親が担任の行為は体罰に当たると、損害賠償を求めて提訴した。
詳しいことは分からないが、そもそもどんな宿題だったのだろう。毎日出さなくてはいけない宿題だったのか、男児はなぜ宿題が出来なかったのか。宿題をやって来ないことで、担任は両親と懇談したのだろうか。小1の子に宿題を出す必要があったのか、出すのならどんな宿題が適切なのか、学年で話し合ったのだろうか。
保育園でも不適切指導が問題となり、自治体が実態を調査し、保育士が退職している。トイレに行かなかった園児に、「うんちの匂いがする」と言ってみたり、「赤ちゃんみたい」と嫌味を言ったり、食事の遅い園児の配膳を減らしたことが問題になった。でも、これくらいのことは、保育園では日常では無いのかと思ってしまう。
確かに大声で威圧的な先生はいた。私が中学生の時、予科練帰りの先生が、「私が殴った生徒はみな、東大か京大にいった」と自慢していた。殴られてまでして、東大も京大も行きたくないと思った。熱血指導のつもりだったのだろうが、子どもたちを育てる方法としては間違っていた。
- 自由に生きる方法を教えない
- 世の中を変える方法を教えない
- 社会を批判的に見る方法を教えない
- 周りに流されずに生きる方法を教えない
- 賃金労働以外で生きる選択肢を教えない
「生きていく上で重要なことを何ひとつ教えない」という1点こそ、学校という施設が持つ最大の特徴です。