友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私は修業が足りないようだ

2023年09月11日 17時42分12秒 | Weblog

 朝から雨が降っているが、激しい降りではない。部屋の温度計は、気温28度・湿度70%を指していて、昼も夜も大きな差は無いようだ。窓を少し開け、エアコンは使っていない。昨夜は寝汗をかいて、夜中に2度もパジャマを着替えたが、汗をびっしょりかいたのは私だけのようだ。

 昨日のブログに、大正ロマンを代表する竹久夢二について書いたが、二科の巨匠・東郷青児は13歳年下で、夢二が開いた絵草紙店に出入りし、下絵描きなどを手伝っていたようだ。そして、夢二の妻の「たまき」と懇ろになり、宿泊していたところに夢二が現れ、追い回される事件を起こしているが、17歳くらいか。

 19歳の時には二科展に初出品し、二科賞を受賞しているから才能があったのだろう。23歳で「はるよ」と結婚し、一緒に翌年からフランスへ留学、フランスの美術学校で学んでいる。ピカソなどの絵画も目にしたことだろう。絵画ばかりかデザインという新しい分野が誕生し、青児は装飾美術のデザイナーとして働いたが、パリでの生活は苦しかったようだ。

 7年暮らしたパリから帰国、新聞にも取り上がられた。「はるよ」との間に長男が生まれているのに、帰国した年に出会った「みつこ」に初対面で結婚を申し込み、親の反対で一度別れる。さらに「修子」と結婚するが、「みつこ」とも関係を復活させている。そして「みつこ」との心中事件を起こし、取材に来ていた「宇野千代」と同棲を始める。

 それから4年後、「みつこ」との関係が復活し、「宇野千代」と別れ、「はるよ」との離婚が成立。青児の恋愛は、「宇野千代」の『色ざんげ』に詳しく記されているが、私にはなかなか理解できない。青児が恋愛した相手は、いずれも資産家や将校の令嬢で、学歴も高い。新しい時代の「女の生き方」を象徴しているのだろうか。

 『色ざんげ』を読んで、よくまあ次々と恋愛できると羨ましくなっても、何の感想も湧いてこない。私は修行が足りないようだ。


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