どうして人が人を殺すのだろう。憎いとか、気に入らないとか、金が欲しかったとか、様々な理由がある。でも、だからと言って、殺人が正当化されることは決して許されない。「殺してみたかった」というケースは、狂っているとしか思えない。
ロシアのウクライナ侵攻は、何が目的なのかよく分からないが、攻められたウクライナは「国を守るため」に戦う。両親や友人そして国土を守るために、ロシア兵を殺す。しかし、目的が正しければ街を壊したり、人を殺してもいいのだろうか。
ウクライナ侵攻の主力部隊は、ロシア国軍ではなく民間軍事会社『ワグネル』だという。『ワグネル』は、ロシアの刑務所にいる受刑者から志願兵を募っているというから、ロシア国家対ウクライナ国家の戦争ではない。『ワグネル』に国家を守るなどという意識は存在しない。
『ワグネル』はヒットラーが好んだドイツの作曲家ワーグナーをロシア語読みしたものらしい。ワーグナーも再び利用されて、情けない気持ちだろう。世界を見ると、未だに紛争が絶えない地域は、民間軍事団体が暗躍している。
紛争が収まってしまえば、民間軍事団体に金が入って来なくなる。そういう連中が世界の政治に大きく絡んでいるのだから呆れる。防衛費の増額を掲げて、アメリカの太鼓持ちになっている日本政府に、平和外交を迫る国民が多数にならないとダメだ。
どんな理由であっても、人殺しは許されない。平和を実現するために、政府は何をすべきなのか、私たち一人ひとりの国民は何をすべきか、よく考えたいと思う。人の欲を無くせと言っても、根絶は出来ない。せめて、みんなが持てる、絶対に人殺しはしないという価値を共有したいと思う。