友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ちょっと蒸し暑くなった

2023年06月27日 17時34分01秒 | Weblog

 蒸し暑い日になった。部屋の温度計は気温30度、湿度55%を表示している。この街も以前は水田が多く、夜にはカエルの合唱が喧しかった。そういえば、水田も持ち主に「カエルがうるさいから止めろ」と、立て札をした人のことをテレビで見たことがある。公園で遊ぶ子どもの声に、「うるさい」と文句を言う人もいた。

 どうしてこうも、自分中心でしかものを見ない人が多くなったのだろう。カエルの鳴き声も子どもたちの元気な声も、人間の営みが感じられていいのに。田植えが終わった水田は緑がキレイだ。カエルはのんびりと水田を泳ぎ回っているだろう。人間はどうして稲や麦のような小さな種を主食にしたのかと思った。

 米も麦も種は小さく固い殻に覆われている。穂先から種を取り出し、殻を取り除く作業は大変な時間と苦労が要る。おかげで人類は生き残って来られたが、稲も麦も大量に生産でき、しかも保存が出来たからだろう。水の豊かなアジアでは米作りが、乾燥気味の中東から北では麦作りが、人間の胃袋を満たしてくれた。

 欧州の穀倉地帯と呼ばれるウクライナは、ロシアの侵攻で農地は爆撃され、地雷が埋められ、戦車が居座っている。戦争は殺し合いでしかないのに、なぜ、人は戦争を続けるのだろう。いったい誰が喜ぶと言うのか。もし喜ぶ者がいるのなら、人殺しで利益を得て何が嬉しいかと、弾劾してやらねばならない。

 戦争とは違うけれど、恋人に振られたとか、働き場所が見つからないとか、そんな理由で逃げ場の無い列車内で人を刺し、油に火をつけた男がいた。男ばかりか女も、何の理由も無く人を殺めている。人殺しが頻発するのは、戦争が無くならないからでは無いだろうか。人は皆、この世で生きる意味を持って生まれてきたのに、戦争はそれを軽んじている。

 みんなが力を合わせなければ、稲も麦も育てられないし、収穫も出来ない。みんなで作業する機会が無くなって、みんなで生きている意味も分からなくなった。各国の主導者を集めて、農業をさせてみることが世界平和への道かも知れない。ちょっと蒸し暑くなった。


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