中学3年の同級生のダンナが亡くなり、「励ましに行かない?」とトヨちゃんから電話があったのは6日だった。トヨちゃんの家やノリちゃんの家に、私たち男子ばかりが4・5人で遊びに行っていた。
ノリちゃんの家では兄さんの3・4歳の子どもがいて、遊んだりしたことがあるのに、ノリちゃんと何していたのか思い出せない。思い出すのは3年の時の担任が、「ノリ子、廊下に出て、顔を洗って来い」とやたらに注意していたことだ。
トヨちゃんもノリちゃんも、担任からよく叱られていたがふたり共、叱られても苦にしていないようだった。担任も叱るというより、可愛がっているようだった。担任は私たちの3年の時に結婚し、私たちは担任の家によく遊びに行った。
ノリちゃんを励まそうと、今日は出かける予定だったが、「ノリちゃん、体調悪いみたいだから」と、トヨちゃんが言うので延期にした。おそらく、ダンナの葬儀や後始末のことで、疲れが出てしまったのだろう。元気なノリちゃんのことだ、すぐにまた会えるだろう。
私はせっかく空いた時間だからと、ツツジを2鉢、友だちの所へ持って行った。友だちのカミさんが、「ワアーきれい。いいんですか?」と言うので、「貰っていただきたいのです」と事情を話す。真っ赤なツツジはもう花が終わるし、もう1つは既に葉が茂っている。
「もっと前に見てもらえばよかったのに、ごめんなさい」と謝る。家に帰ってルーフバルコニーを眺めているとカミさんが、「本当に全部無くしちゃうの?」と言う。「ああ、そうするつもり」と答える。今、決心しなければ後で悔やむだろう。
「何十年もかけて育てて来たのに、それでいいの?」と、友だちも心配してくれるが、初めがあれば終わりもある。どんなに引き延ばしてみても、必ず始末しなくてはならない時は来る。私が始めたことは、私が終わりにするのが責任を果たすことだろう。
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