友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘と二人の夜

2007年11月01日 23時02分58秒 | Weblog
 友人の葬儀の後、みんなで食事をした。ちょっと遅めの昼食である。昨夜は男ばかりの7人であったが、ここでは女性が7人で男性が4人であった。男性の最年少は20歳の大学生だ。彼は小学校の頃から、私たちの宴席に同席している。でしゃばることもなく騒ぐこともなく、ただ黙って私たちが飲んで話すことに耳を傾けていた。私たちの仲間の中に料理が好きな男性がいて、その人の料理のうまさがわかると、自分でも料理を作って持ってきてくれたこともあった。「将来は料理人になりたい」。そんなことを口にしていた時もあった。

 亡くなった友人は子ども好きだったから、彼もよく可愛がってもらっていた。わざわざ京都から昨日帰り、また明日の朝には戻ると言う。経済学部の学生となった彼に「右肩上がりの経済の復活は無いと思うけれど、じゃあーこれからはどういう社会活動になっていくのか勉強してね」とお願いしておいた。40年後の石油がなくなるとしても、私たちはもう生きてはいない。

 今、国益だとか、会社の利益だとか、老舗の看板だとか言っているけれど、40年後の石油が無くなるなら、人類そのものが生きていけないだろう。石油よりも水が奪い合いとなるとか、銅だって銀だってもう底をつくのがわかっているという人もいる。石油、食糧、水、金属、要するに資源は限りがあるのに、このまま同じような使い方をしているなら、底をついてしまうということなのだ。
 
 テロ特措法によるインド洋での石油の供給は結局、時限立法のために中止となった。国際的な評価をいただいていたのに残念だと自民党は言っている。本当にそうなのか、誰が石油の供給を喜んでいたのだろうか。テロがなぜ起きるのか?一度よく考えて欲しい。あなたの国が他国に支配されていて、とても惨めな生活を強いられるなら、力の無いあなたはテロに走るだろう。力が無い者が反抗するにはテロは有効な手段だからだ。私は力もなく臆病で小心者なので武器を持って戦うことができない。戦えば、誰かを死傷させることになるからだ。だから私は、他国の支配に耐えることに甘んじる。皆さんにそうしなさいと宣伝する。

 人はどうしてそんなに自分のこと、自分の家族のこと、自分の国家のこと、ばかりを大事にするのだろう。先ほど、日本シリーズで中日ドラゴンズが日本ハムを破って優勝した。何万という人がドラゴンズの優勝に歓喜の声を上げていることだろう。それはどこが優勝しても同じことだ。人はこんなことに一喜一憂しながら、人生を楽しんでいるのだ。

 私の家のミカンの木にいるアゲハチョウの幼虫は、ひたすらミカンの葉をたべ、そしていつの間にか姿を隠してしまう。たぶん、どこか羽化する場所を探してミカンの木を離れるのだろうが、決して充分に大きく太ったものだけではないことが気がかりだ。まだ、細くて小さな幼虫までもいったいどこに行ってしまうのか、気になって仕方がない。

 「友だち以上恋人未満」だったか、ちょっとこんな肝心なことも忘れてしまったけれど、中学高校からの友だちの生き方に注目しながら、自分自身の老いたる今の姿に、恐れと嫌気を抱いている。鏡に映るのは自分ではないと言いたくなる。さてさて、今晩はカミさんはコンサートに出かけ、下の娘夫婦は友人宅に出かけ、長女はまたしても夜勤とあって、再び孫娘と二人の夜となった。「立つ」とか「立たない」とか、またそんな話で盛り上がっていた。

 もうすぐ、午後11時である。誰かが帰ってくる前にブログを立ち上げておこうと思う。ワインはもう空っぽになった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年齢順ではない | トップ | 福田総理の提案 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事