友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

神社とは何か

2013年09月12日 18時11分38秒 | Weblog

 長女からメールで、9月21日は4歳の孫娘の保育園の運動会があり、孫娘はもちろんダンナも出場するので「見に来て」という。私は即座に、「ぜひとも参加させてください」と返信した。ところがカレンダーを見ると、その日は大和塾の市民講座の日で、護国神社の宮司を講師に迎え、「神道のかたち」をテーマに講演していただく日だ。仏教とは何かについては、僧職の方ふたりから話を聞いた。神社について話してくれる人を探していたところ、適任の方に出会うことが出来た。

 神社は各地域に存在する。寺ほどの数はなくても相当な数だ。住職がいない寺はないけれど、宮司がいない神社はある。それでも神社がなくなることはない。正月とか節句とか、そうした季節の節目に神社の行事は行なわれる。結婚式は今も神社で行なう人が多い。七五三参りや厄払い、祈願のために神社に参る人もいる。寺の檀家でありながら、神社の総代という人もいる。朝日に向かって手を合わせる、大きな岩とか樹木とかに手を合わせる。あれは何なのだろう。

 神道には経典がない。宮司が読み上げる詔は、神への挨拶のようなもので、教えとは言えない。それでは神社とはいったい何なのか。日本人に受け継がれてきた風習なのだろうか。いや、神道というからには、何か、仏教の経典、キリスト教の聖書のようなものがあるはずだ。それとも、森羅万象あらゆるものに神が宿ること、それに感謝の気持ちを持つこと、ただそれだけの教えなのかも知れない。恭しく儀式化したことで、神社は今日まで日本人の風習として残ってきたのかも知れない。

 そんな神社について、神社に仕える人から、解説して欲しいと思っていた。「神社はなぜ、先の戦争で片棒を担ぐことになったのでしょう」と聞いた時、「それにお答えしなければならんですか」と言われ、「難しい質問はせんといてくださいね」と困ってみえた。どんな話が聞けるか、当日が楽しみだ。4歳の孫娘には申し訳ないが、そんな訳でパパちゃんは市民講座のまとめ役をしなければならない。市民講座「神道のかたち」は21日(土)午後2時より、北名古屋市の健康ドームで、入場無料。

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