友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

なんて素敵だろう

2014年04月27日 18時55分00秒 | Weblog

 小学校の運動場に次々と車が集まり、将棋の駒のように整然と配置に着いた。今日は、子ども会の廃品回収の日で、それぞれの子供会が集めた廃品を自家用車で運び込んで来る。車は東門から入り、荷物を降ろすと西門から出て行く。東門から入って来る車に、「右に行って」とか、「左に行って」とか、テキパキと指示している女性がいる。おそらく子ども会の責任者だろう。彼女の適切な指示のおかげで、作業は実にスムーズに進んでいた。

 午前11時近くになって運動場の喧騒が止んだ。既に業者の車は1台もなく、子ども会の役員の皆さんが竹ホウキで運動場をならしていた。こんなに効率的に作業ができたのも、入り口で皆さんに指示を飛ばしていた女性のおかげだろう。会社でもどこでも、正確な指示が出せる人がいると効率よく作業が進むが、あの人の指示なら間違いないという信頼感があるからなのだろう。これは年齢には関係ないようで、人柄が最重要だと思う。

 会社でもどこでも、上に立つ人に信頼がなければ決してスムーズにいかない。間違った作業は誰もしたくないし、二重手間になるような仕事はしたくない。どんな会社が、どんな組織が伸びるかと言えば、みんなが一体感を持って仕事をしているところだ。しかもその仕事が理想に燃えるようなものなら、さらに効率は上がり成績がよくなるだろう。心の一体感を作り出すのはコミュニケーションである。どんなに立派な人であっても、働く人の気持ちを察することができなければ、思いは伝わらない。

 名古屋市立北高等学校の合唱部OBのコンサートに行って来た。Ⅰ部、Ⅱ部、Ⅲ部と分かれていて、Ⅰ部とⅢ部が合唱曲で、Ⅱ部が黒人霊歌だった。Ⅰ部を聴いた時、声は出ていないし膨らみもない、今年の出来は悪いと思った。Ⅱ部で持ち直し、Ⅲ部は盛り上がった。Ⅲ部の指揮者は北高合唱部を全国優勝に導いた先生で、今年で80歳と聞いた。出てみえた時も足取りはおぼつかなく、左手が小刻みに震えていた。こんな状態で指揮できるのだろうかと不安だったけれど、素晴しい合唱だった。なぜか涙が止まらなかった。こんな風に人生の終わりを迎えられる、なんて素敵だろう。そう思った。

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