友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

無条件で愛する人

2008年10月21日 22時52分14秒 | Weblog
 マンションの上のご主人が亡くなられた。8月の誕生日で81歳を迎えていた。入院された時、「誕生日まで命があるかな」とひ弱なことを言われた。延命治療を受けないと決め、痛みと戦い続けていた。今日の午後、娘さんから逝去の知らせを受け、とうとう来たのかと胸が熱くなった。死は年齢順ではないというけれど、次は私たちの世代かと感じた。

 午前中の会話の中で、私よりも歳の若い人が狭心症のため「もう長くないな」と言われていた。私が高校で始めて担任をした時の生徒が、やはり病で苦しんでいる。私よりも10歳も年下で、彼は高校時代は柔道をやり、応援団長も引き受ける頑丈な身体の持ち主だ。気持ちも明るく前向きで世話好きな男である。「憎まれ者世にはばかる」というけれど、本当にいい奴から先に旅立っていくようのだろうか。

 そんな暗い話は後にして、楽しい話をしよう。精神科医療に携わったことが縁で、イギリスの病院を訪れた時、患者とスタッフが一緒に食事をしていたそうだ。そればかりか、地域の住民が「病院は私たちの誇り」と話す。そのことが忘れられなくて、丹羽国子さんは自宅を開放し、地域住民をはじめ、障がい者、不登校の子ども、認知症の高齢者、子育てに悩む母親らが気楽に集まって食事をし、会話を楽しむ「まちの縁側」を造った。

 丹羽さんが新生児治療を担当していた時、保育器の外から声をかけ続けたそうだ。話しかければかけるほど、生命力を増す小さな姿に、「やっぱり、人とかかわることが何より成長につながる」と確信したと言う。一人暮らしの丹羽さんは、話し出せば次々と話題があふれ出てくる。「人はみんな素晴らしい存在」と言う。人とつながることが人を幸せにするのだ。

 介護に携わる人たちも同じだろう。大きな施設では、機械的な介護になりやすいが、少人数ならもっと一人ひとりを大切にした介護ができるはずだと頑張っている。そういう介護に携わる人たちを見ていると、基本的に人が好きなのだと思う。この人から何かをしてもらおうというのではなく、この人に何をしてあげられるか、そんなことばかりを考えている人たちだ。
 
 与えてもらうことばかりを考え、まだ足りないと不満に思う人もいるが、与えることが充分にできていても、まだ不十分ではないだろうかと心配する人もいる。今日の中日新聞の生活欄はキリストの愛について触れ、「無条件に相手を愛する、それが本当の愛なのです」とあった。無条件で無償で人を愛することができる人はいる。驚きとともに感謝したい。

 丹羽国子さんには、大和塾で講演していただく予定でいる。
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楽天的な方がいい

2008年10月20日 23時14分49秒 | Weblog
 今は少し落ち込んでいる。絶対に当たらないだろうと思ってはいたが、ひょっとしたらとも願っていた宝くじがやはりハズレていたり、かなり自信を持っていた公募の童話作品が不採用であったり、色々やりたいことがあってついつい使ってしまっていた高速道路のETCの明細をカミさんに見られてイヤミを言われたり、主婦の鑑のように思っていた人から「とても一緒に暮らしていられないので、今は子どものところにいます」と打ち明けられたり、あると思っていた資料がどこを探しても見つからなかったり、そんな日常的な出来事も悪く考え始め、ますます落ち込んでしまう。

 近頃の若い人はマナーが悪いなどと言う話はよく聞くが、地下鉄に乗った時、同じ車両の中で、10代の高校生も20代のOLも40代の主婦も、3人が3様に化粧に専念していた。車両の中は自分の空間であって、新聞や本を読む人がいるのと同様に化粧をしているといった感じだ。おそらく乗り合わせた人の中に知り合いの異性でもいたならきっとそんな行為はしないのではないか。ところがその同じ車両にもう一人マナーの悪い人がいた。年齢は私と同じかもう少し上かもしれない。その60代の男性は長い足をこれ以上伸ばせないと思うくらいに投げ出していた。眠っているわけではなく、しっかりと目を開け、乗客を見定めているのだ。

 コンビニやスーパーで、子どもらによる万引きが絶えないと大人たちが話していた。近頃の子どもはますます悪くなっている。だいたい親がなっていない。子どもを叱ると、叱るなと食ってかかって来る。子どもたちの教育の前に、30代40代の親の教育が必要だ。そんなことを路上で大きな声で話していた。話している二人の年齢はどう見ても、30代40代の親の世代だ。60代前後の私たちこそ、今日的な矛盾の張本人なのだ。それなのに、自分は間違っていないけれど、自分の子どもたちはよく育っているけれど、子どもたちの世代はどうにも良くないというわけである。

 私自身、子どもを育ててきた時は自由にのびのびとをモットーにしてきた。個性を大切に育ててきた。もちろん手を挙げたことはない。一度だけ、車には注意しなさいと言っている矢先に道路に飛び出した長女を叩いたことがある。やりたいことはできるだけやらせてきたし、無理やり勉強させることもしなかった。人に対する思いやりが一番大事だと教えてきた。大人になった子どもたちを見ると充分に親の気持ちを受け止めてくれていると思う。

 これから人間社会はますます大変な時代へと向かうような気がする。またそのことで、気持ちが暗くなるけれど、いつの時代も若い世代が古い世代を乗り越えてきたのだから、何も心配することはあるまい。こんな風にいつもいつも自分の都合の良い方に解釈してきたではないか。きっとそうなると。
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孫娘の水泳大会

2008年10月19日 22時40分11秒 | Weblog
 孫娘の水泳大会を見に行ってきた。本当のことを言うと、私はあまり行く気がしない。子どもに必死になって声援を送る熱いお父さんやお母さんが多いところへ出かけていくと、私はひねくれ者なのかいっそう醒めてしまう。子どものために親が夢中になることを微笑ましく思っているのに、あの雰囲気の中に入っていくと、どうぞご勝手にといった気持ちの方が強くなってしまうのはどうしてだろう。

 私自身は身体を動かすことは好きだ。子どもの頃から走ることは速かったし、バスケットやサッカーはやっていても面白いと思った。テニスは子どもたちが大きくなってから家族で行なう程度だが、もっと若い時にやってみたかったと思うくらいだ。スキーやスケートも試してみたいと思うだけで、結局はしないうちに歳を取ってしまった。カミさんはゴルフに夢中だが、私にはどうしてもお金持ちのお遊びという意識が抜けない。

 チームプレーを基本とするスポーツよりも個人的に汗を流すものの方が好きだというのもひねくれている。最も悪いのは、所詮スポーツではないか、そんなに勝敗や結果にこだわるなんて自分には出来ないという気持ちだ。そもそもスポーツには勝敗や結果があるから面白いのに、だからこそ皆は努力するのに、それを素直に受け止めようとしないのだから当然熱狂的なスポーツ好きにはなれない。

 水泳は100分の何秒を争う。見ていても本当にタッチの差で結果が決まってしまう。1位の子どもと2位の子どもの間にどれほどの努力の差があるというのか、そんな風に私は見るクセがあるから、スポーツを見ていても面白くない。仕方がないので、お父さんやお母さんの声援でうるさい観客席の片隅で、読みかけの小説を持ち込んで読んでいた。孫娘のプール仲間のお母さんが「ご苦労様です。頑張っていますね」と声をかけてくれるのに、「ここへ来るのはいやなんですが、運転手として使われているんですよ」などと、別に言わなくてもいいことを口にしている。

 馬鹿だなと、後からそう思う。わざわざそんなふてくされた言い方などしなくても、「ありがとうございます。良い結果が出るといいですね」くらいの社交辞令を言っても罰は当たらないし、本来は大人としてそうすべきだろうと思う。私が皮肉交じりに「ここへ来るのはいやなんです」と言ったところで、それを聞いたお母さんが本当にいいことを言うわねとは誰も思わないだろう。むしろ不愉快な気持ちになる。誰もが喜ばないようなことを言うのは大人気無い。皮肉な言い方しかできないのは、人間として不完全だ。

 孫娘のプール仲間のお父さんに出会って話していて、自分が小さいことに気が付いた。このお父さんの中学3年の息子はバタフライで全国第2位の実力者だ。「周りの皆さんは『お父さんも水泳が得意なんですか』と聞かれるけど、私は泳げません。私の子どもの頃は学校にプールもありません。息子が小児喘息だったので、水泳をやれば少しは肺も強くなるのかなと思ってプールに通わせたんです」。お父さんの話は実直だ。「息子の水泳の成績が良くなってきて、あちらこちらの大会に出るようになって、それは嬉しい反面で大変です。近いところの送り迎えくらいならいいけれど、東京とか新潟とかなれば、交通費だけでも追いつきません。それでも息子が、1年に2秒ずつ縮めれば4年後にはオリンピック記録になるよと言うんですよ」。

 いいなあ、スポーツには夢がある。そう思った。
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一人ぼっちは嘘か本当か

2008年10月18日 19時58分36秒 | Weblog
 先日亡くなった俳優の緒方拳さんの最後の作品といわれたNHKドラマ『帽子』を見たかったのに、気が付いた時は手遅れで、最後の10分くらいしか見ることが出来なかった。そこで気が付いたのは既にガンと戦いながらの撮影だといわれていたが、確かにやせ方からそれを察することが出来るけれど、実に演技は自然であった。若い頃の緒方さんよりも年取ってからの方が私は好きだ。なぜか、飄々としたところがなんともいえない味がある。

 最後の部分しか見られなかったけれど、その一人暮らしの帽子職人は、淡々と生きている。「明日のことは考えない。今のことだけを考えて生きている」。そんなセリフがあった。これもどこかで読んだ言葉だが、「生きるということはただ生きていればよいのではありません。心臓が動いていればよいのではありません。」と、そう思い込んで生きてきた。生きていることに何か価値を見出したいとは誰もが思うと考えてきた。帽子職人は「生きていればよい」と教えてくれたと私は解釈したけれど、それは間違いなのだろうか。

 友だちが「自分は一人ぼっちだと悟った」と言う。人は生まれた時から一人であるが、一人では生きられないからこそ「一人ぼっち」と感じるのだと私は思っている。人はたくさんの人々とともに生きている。友だちは「自分には親友がいないと気が付いた」と言うけれど、それもまた嘘であり本当だと思う。誰とでも話が出来る彼はたくさんの友人を持っている。飲み友だちもいる。どちらか言えば、寂しがり屋の方だから「一人ぼっち」でいることができないタイプだ。

 彼の思いは嘘であり本当だというのは、友だちはたくさんいるし、彼を愛している家族だっているのに、それで満足できないから「一人ぼっち」だなどと言ってしまうのだろう。人は欲深い。現実には不満はなにもないのに、今が幸せだから、もっと幸せが欲しいややこしい存在だと思う。その欲の深さをそれは「一人ぼっち」のためだと考えるのだ。けれども、いったい誰が非難できるというのか。家族がいて親友がいてそれで充分ではないかと言う人もいるが、そう言う人は「一人ぼっち」とは思っていないのだから言えるだけのことだ。

 何もせずに生きていくことも人生であるし、求め続けて生きていくことも人生である。どういう選択をするのかは自分が決めることだ。その選択を人は非難することなどできない。腰痛教室の先生は82歳と高齢だったが、元気がよく当然だけれども姿勢もよかった。腰痛は脊椎の神経を圧迫していることから起きるのだから、逆をすれば必ず治ると話された。「私の言うとおりにすれば必ず治るが、治すのはあなた自身ですよ」と言われる。なるほど、人生も同じかと納得した。
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中学2年はもう大人だ

2008年10月17日 22時50分25秒 | Weblog
 子どもたちの元気な声が聞こえてくる。子どもたちの社会も実は大人の社会のミニ版であることには大人は気が付いているのだろうか。前期児童会長を務めていた男の子がピンチになっている。この子は成績が良くて、小さいときから学級委員を務めるリーダー的存在だった。体育能力にも優れ、学校ではサッカー部に属して部長を任されていたし、地域では野球クラブのキャプテンである。6年生になってみんなは身体が大きくなっていくが、どちらか言えば彼は成長が遅く小柄である。

 後期の児童会会長に立候補して当選したのは、彼と同じ通学団で同じ野球クラブのエースだ。それまでは前期会長の存在が大きく目立たなかった。ところが今、大きく逆転してきたのだ。前期会長は代表委員に推薦されたけれど、彼は学級委員をやりたいからと辞退した。ところが、学級委員には後期会長に当選した子が推薦した前の代表委員が当選し、前期会長は無役となってしまった。ここから、クラスの雰囲気が変わってきた。

 前期会長は教室でポツンと一人でいることが多くなったのに対し、後期会長らのグループは放課にはみんなで活き活きと遊んでいる。サッカーでは前期会長よりも後期会長の方が身体も大きく動きも良いようだ。内気で内向的な前期会長よりも元気者で外交的な後期会長の方が子どもたちの受けは良いのだ。この逆転の結果ではないだろうが、前期会長は腹痛に見舞われることが度々重なり、学校へ遅れてくることもある。

 そんな子どもの話を中学2年の孫娘としていたところ、孫娘は「そんなことはよくあることだよ。きっとその子も今は落ち込んでいるかもしれないけれど、中学になればまた変わるから、そんなに気にすることはないと思う」と言う。さらに「元気がないとか、学級委員になれなかったのは残念だったねとか、その子はきっと気にしているのだから、あんまり元気付けようとして傷口には触れるようなことは言わないほうがいいと思う」と話す。

 中学2年という歳は思った以上に大人なのだと思った。確かに人生には浮き沈みはあるのだから、むしろ、そう受け止めることが彼のこれからの人生を豊かにしていくことになるだろう。自分が思い描いていたように進むことなど人生には滅多にない。それでも人が生きていくことに前向きになれるのは、いつか良い時が必ず来ると思うからだ。
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公務員の民間派遣の意味

2008年10月16日 20時05分53秒 | Weblog
 以前、デパートで役所の職員に出会ったことがある。買い物をしていたのではなく、売り子をしていた。行政が、公務員は接客態度が悪いとの批判に、民間に学びますと派遣したものだ。確かに公務員の接客態度にはむかつくようなことがある。普通の人間が役所の窓口を訪れるのは、困りごとであったり相談したいことであったりする場合が多い。その他は、証明のための書類の発行だから、これはお金を払えば済む淡々とした行為だ。

 ところが相談ごととなると、まずこちらの事情をよく説明し、何を期待しているか伝えなくてはならない。逆に言えば、役所の職員は聞き上手でなくてはならないわけである。市民にとっては、それは許可をもらうことであったり、何かを認めてもらうことであったりするから、ますますどうかよろしくお願いしますということになる。職員からすれば、ダメだともいいとも言うことの出来る権限を握っているわけである。

 こういう時は、なぜか相談する側は卑屈になり、受ける側は横柄になりやすい。役所の職員は冷たいとか態度がデカイとか、市民が不満を感じる時だ。そこで行政は職員を民間に派遣し、接客態度を学ばせているというのである。私も学生の時、デパートで売り子をしてみて、物を売ることがどんなに大変なことかと身に沁みた経験がある。公務員を民間に派遣することに意味が無いとは言わないが、本当は公務員とはどういう職業なのか、その根本から学んだ方が良いと思っている。

 民間で体験させるなら、もっと大変な職場に行かせる方がよいのではないか。たとえば、介護の職場のように人がいなくては成り立たないようなところとか、汗水流して働く職場とか、人から罵倒されることが多い職場とか、そんなところで働いてみた方が良い気がする。公務員は、市民に代わって行なっているわけだから、たとえどんなイヤな市民であっても、自分はこの人たちの代わりに働いているわけである。もちろん、人は全て平等だから、自分とイヤな市民も平等である。そういう目を持った職員になって欲しいと思う。

 ところで公務員が民間に派遣される中に、まさか教員も含まれているとは思わなかった。教員に、たとえば旅行会社に派遣する意味は何なのだろう。デパートに派遣するとしたなら、その目的は何かと考えてしまう。教員には子どもの能力、学力であったり体力であったり想像力であったりする様々な力を、見つけ出し引き出し育てることが求められる。民間に行くことがそうした教員に求められる資質の向上に役立つのだろうか。もし、教員が自らこういうことを学びたいというのであれば、それはそれで意味があるのだろうけれど、画一的に民間に派遣することは愚の骨頂としか思えない。

 公務員だって、あるいは教員だって、もっと言えば、どのような職場の人であっても、もう一度自分から学びたいという気持ちが湧き出してきた時、それを保障する制度は大切だと思う。そうすることで自分を向上させていけるならば、やりがいにもなるだろう。今、行なわれている公務員の民間体験は「やっている」だけに過ぎなくないだろうか。行なう意味と内容、方法など検証し直される必要があると思う。
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すれ違い

2008年10月15日 20時22分02秒 | Weblog
 夫婦を見ていると面白いなと思うことがある。先日も知人のご夫婦が車でやってきた時のことだ。ご主人が運転し、助手席に奥さんが乗っていた。いつもなら、もっと手前の広いところで止まるのだが、この日は荷物があったのでご主人はなるべく近いところへと考え、狭い道を無理やり入ってきた。多分この時、助手席の奥さんが「こんな狭いところまで入ってきて、私はバックで出られないわよ」とか言ったのだろう。ご主人はわずか2メートル半ほどしかない道幅の中でちょっと広いと思われる辺りでいきなりターンを始めた。

 車は見事に花壇の壁面に追突してしまった。そこで、奥さんの叫ぶ声がしたかと思う間もなく、車は急加速でバックし、反対側の壁にぶつかった。それでもなお、ご主人はムキになって今度は前進させたから再び花壇の壁面にぶつかってしまった。「ここは狭いからターンは無理ですよ」と何とかご主人を納得させたけれど、どうもご主人は想像以上に短気な人のようだ。

 それでも、狭い道に入り込んでしまい、これでは奥さんが運転できないだろうという思いやりから、車を反転させておこうとしたのに違いない。相手に対する思いやりの気持ちが逆にとんだ災難を生むことになってしまった。奥さんはカンカンになって、車の状態を確かめ、発進していった。ぶつかった時の衝撃音はすさまじいものだったが、ぶつかったバンバーは多少傷ついたものの、気にしなければ耐えられないようなものではなかった。ご主人はバツが悪いのか、盛んに狭い道幅を眺めて、何かつぶやいていた。

 友だち同士の家族で集まって食事などをした時、夫婦の片方がちょっとしたヘマをしたり、失笑を買うような発言をした時、「本当にドジなんだから。この人のこういうところが嫌い」などと片方をなじるようなら、それはジョークで言ったつもりでも言われた方はかなり傷つくことになる。片方はみんなの手前、かばうような発言をして、なんとなくだらしがないとか甘いとか思われたくないという配慮から、わざと冷たい言い方をしたのだとしても、そこにはなぜか敵意のようなものが存在するような気がする。

 夫婦だから日頃からどんな言い方をするか、よくわかっているつもりでも、実は難しいなと思うことは多々ある。今、読んでいる『アンナ・カレリーナ』の中に、結核で死を迎えようとしている兄を弟が見舞いにいく場面がある。新婚の花嫁は自分も一緒に行くと言う。彼はそれを一人でいるのが寂しいからとついてきても困ると考える。それに兄は死の直前にあり、きっとひどい状態だからそんな姿を愛する妻には見せたくないと思いやる。けれど花嫁は、夫婦だからこそ一緒に行きたいのだと聞き入れない。

 互いに相手を思いやっているのだが、すれ違っていくことは結構あると思う。どうすることが一番よいかは実際にはわからないのではないかと思う。「結果は神が決めたこと。つまり最良の道だ。受け入れるしかない」と私は言うのだが、「あなたは自分勝手ね」と言われてしまう。
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おせっかいは直らない

2008年10月14日 23時09分21秒 | Weblog
 雨の中を一人の老人が傘をふらふらさせながら歩いていた。歩道ならともかく、彼が歩いているのは車が走り抜けていく車道である。足取りはきわめておぼつかない。車が来ても一向に気にしない様子に運転手の方が困惑と怒りを露にしていた。係わり合いになるのはやめなさいとカミさんが言うが、私は黙って通り過ぎることが出来ないおせっかいなのだ。

 「危ないですよ」と歩道へ引き寄せようと、私は老人の腕をつかんだ。よく見ると年齢は私とほぼ同じくらいだ。見たことのある人だが、どこの誰かまでは知らない。すると男は(同じ歳くらいかと思ったら、老人とは書けなくなった)、「S病院はどこか?」と言う。「病院に行くんですか。診察ですか?」と聞いてみた。男は傘をさしていたが、雨に打たれたのか全身が濡れていた。運動靴を履いていたけれど、靴は水溜りを好んで歩いてきたかのようにズブズブだった。

 「病院で人が待っている」と男は答えた。話し振りから、普通ではないなと感じた。痴呆か知的障害なのだろうかと思った。「S病院はこの道をまっすぐに行けば、左側に見えますからすぐにわかりますが、歩いていくのは無理ではないですか」と私は男に話す。男は病院のある方から歩いてきているのだ。この男の歩き方では30分以上かかってしまうだろう。私は出かける途中で、家に引き返して車の鍵を持ってくることはこの事態では不可能だ。困った。かといってこのまま男を放っておくことも出来ない。

 仕方ないから男を病院まで連れて歩く以外ないか、そう思いながら歩き始めた時、丁度知り合いの女性が車で通り越そうとした。「ちょっと待って」と身振りで合図を送ると、彼女は何事かと車を止めてくれた。「この人をS病院まで送ってくれない!」と私は彼女に頼む。彼女は「お知り合い?」と聞くので、「いや、全く知らない人なんだけれど、この雨の中を病院まで歩いていくと言われるので、お願いできないかと思って」と私は言い訳をする。彼女は男に「診察券を持っているの?」と聞くが男はうつろな目で全く違うことを口にする。

 彼女は一瞬私を見たが、車のドアを開けて、「どうぞ」と男に言う。私は「ゴメンね。ちょっとヘンな人だから注意してね」と彼女に耳打ちしながら、何だか本当に申し訳ない気がした。自分が抱え込んだお荷物を無理やり押し付けてしまったことでとても気が引けたのだ。彼女は私に気兼ねしてこの嫌な役回りを引き受けてくれたのかもしれない。明日にでも電話をかけて謝り、男がどんなだったのか聞いてみようと思う。

 自分で最後までやり遂げられないことは引き受けるべきではないと父が昔言っていた。今、振り返ってみると、そう言っていた父もいつも冷淡なくらい客観的な態度を装っていたが、兄が継いで左前になっていた材木屋の商売に退職金の全てを注ぎ込み、自分もまた身を粉にして働いていた。母は父とは違い、感情的で人一倍優しい人だったから、自分が食べなくても人が喜んでくれればそれでよいとする人だった。私は二人の子どもであるから、どうしようもなくおせっかいで、これは死ぬまで直らないようだ。
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政治の姿を変えようよ

2008年10月13日 20時22分18秒 | Weblog
 民主党の衆議院議員に、04年から07年の間にマルチ業界から1,100万円の講演料が支払われたと今朝の朝日新聞がトップ記事で報じていた。この議員は、松下政経塾の出身で、私の住む町を基盤に県会議員に立候補していた。選挙区の変更に伴い県会議員から衆議院議員に変わり、民主党公認候補となったと記憶している。民主党議員の中にあって、自衛隊の海外派遣や日本国憲法の改正に賛成の立場をとっていたので、私は好かんヤツと思っていた。

 民主党も自民党に近い存在になりつつあるとは感じていたが、やはりそうだったかと思った。自民党議員は族議員や地域議員が圧倒的に多い。企業や業界あるいは地域の利益追求の片棒を担ぐ議員たちだ。議員はそのような有力者たちのために働き、その見返りに票をもらう。民主主義の社会だから、特定の利益を代表する議員がいても不思議ではないが、この両者の間には単に票をまとめるだけでなく、不法な金が動くことが多い。つまり癒着の構図である。

 自民党議員が大手の企業や業界と結びついているから、民主党議員はそこからこぼれた企業や業界の支援を受ける。たとえば先に上げられたマルチ業界やパチンコ業界などがそんな例ではないかと思う。政治が理想に近づくには時間がかかるだろうが、たとえ時間がかかっても理想に向かうのであれば、我慢も耐えられる。しかし、もしそうでなかったなら、人間社会はなんとつまらないことかと思う。

 政党が政策を同じくする集団となり、そこではイデオロギーとその政策をめぐって、公開された議論が展開されるような政治のシステムが打ち立てられていくべきだと私は思っている。しかし現実の議員のレベルはとても低い。国会議員では確かに勉強会も多くあり、研鑽の機会に恵まれている。それでも、互いを批判するような論議は避けるし、いざとなるとイデオロギーよりも有利か不利かが判断の基準となることが多い。

 保守系の市議会議員が女性にキスしようとして3千円を押し付けた事件があった。このことがうわさになり、この議員は診断書を提出して副議長の職を辞した。ところが自宅で静養しているはずが平気で町を闊歩している。「辞職すべきだ」の声に、この議員は「はめられた」と開き直っているそうだ。「はめられた」と言うなら、名誉棄損でその女性を訴えればよい。ところが3千円を押し付けたことを認めているから裁判では勝てない。

 この議員の行為はセクハラ以外の何ものでもないが、若い時からキャバレーなどで遊びまわってきた世代のこの議員は、金を払えば済むという感覚しかないのだ。こんな程度でも有権者から選ばれた議員である。こういう議員がまた国会議員のために票集めを行い、国会議員の庇護を受けて幅を利かせているのが日本の政治の構図でもある。

 既成の政党ではダメだと思う根拠もこんなところにもある。
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ピンクの夕焼け

2008年10月12日 20時47分26秒 | Weblog
 夕方、5時30分くらいに我が家から見える空の色がとても美しかった。太陽は既に鈴鹿の山に落ちていて、山並みを覆う千切れ雲は不思議なほどピンク色に染まっていた。太陽が沈んだ辺りからはこれも赤だけれどもどこかピンクがかった火柱のような光が天に向かって伸びていた。ほんのわずかな時間のことだ。夕焼けで空が真っ赤に輝いている光景は時々目にすることはあるけれど、ピンク色の夕焼けは初めて見たように思う。

 中学生の時、学校から帰る途中で学校のある東の空に真っ赤な月が上がるのを見た時も感動した。赤い月は大きく満月だったと思う。それは神秘的で、何か不吉な感じさえした。その頃だったか、ラジオドラマか小説か覚えがないが、『赤い月』という戦争をテーマにしたものが流行っていたような気がする。その中身は知らないのに、その時の赤い月だけが鮮明に残っている。

 月とか星とか雲とか、空の色もそうだけれど、時々ビックリするような美しいものに出会う時がある。これもハッキリ覚えていないが、まだ夕方からだんだんと空が暗くなりかけていった時、いやもう少し暗くなった時だったかな、空を見上げると青味がかった黒というか、澄んだ群青の闇というか、不思議な空だった。ああ、瑠璃色とはこういう色かとその時思った。

 満天の星空を見たことがある。アメリカの12月、ロッキー山脈の中の高原で、夜中に星を見に行った。確かにたくさんの星が輝いていたけれど、日本の木曾の高原で見た時とは違っていた。アメリカでの星空は天空が高かった。空気は凍っていた。それより前、まだ教師をしていた時、夏休みに木曾の薮原に生徒たちとスケッチ旅行に出かけた。夜キャンプファイヤーをして、みんなで騒いだ。火を消して、草むらに寝転んで空を見上げてビックリした。満天の星空だった。いやそればかりか、天に向かって手を伸ばせば、星をかき集めることが出来るほど近くに感じた。

 人は一生懸命生きている。生きているのに、その存在はなんと小さいことか。宇宙があり、地球があり、そしてその地球のホンの片隅で私たちは生きている。喜んだり、悲しんだり、恋したりして、その一生を終わる。人は自分の生涯しか責任をもてないが、自分ではそれが全てだから、もっとも大きな存在である。小さな存在だけれども大きな意味がここにあるように思う。
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