マンションの上のご主人が亡くなられた。8月の誕生日で81歳を迎えていた。入院された時、「誕生日まで命があるかな」とひ弱なことを言われた。延命治療を受けないと決め、痛みと戦い続けていた。今日の午後、娘さんから逝去の知らせを受け、とうとう来たのかと胸が熱くなった。死は年齢順ではないというけれど、次は私たちの世代かと感じた。
午前中の会話の中で、私よりも歳の若い人が狭心症のため「もう長くないな」と言われていた。私が高校で始めて担任をした時の生徒が、やはり病で苦しんでいる。私よりも10歳も年下で、彼は高校時代は柔道をやり、応援団長も引き受ける頑丈な身体の持ち主だ。気持ちも明るく前向きで世話好きな男である。「憎まれ者世にはばかる」というけれど、本当にいい奴から先に旅立っていくようのだろうか。
そんな暗い話は後にして、楽しい話をしよう。精神科医療に携わったことが縁で、イギリスの病院を訪れた時、患者とスタッフが一緒に食事をしていたそうだ。そればかりか、地域の住民が「病院は私たちの誇り」と話す。そのことが忘れられなくて、丹羽国子さんは自宅を開放し、地域住民をはじめ、障がい者、不登校の子ども、認知症の高齢者、子育てに悩む母親らが気楽に集まって食事をし、会話を楽しむ「まちの縁側」を造った。
丹羽さんが新生児治療を担当していた時、保育器の外から声をかけ続けたそうだ。話しかければかけるほど、生命力を増す小さな姿に、「やっぱり、人とかかわることが何より成長につながる」と確信したと言う。一人暮らしの丹羽さんは、話し出せば次々と話題があふれ出てくる。「人はみんな素晴らしい存在」と言う。人とつながることが人を幸せにするのだ。
介護に携わる人たちも同じだろう。大きな施設では、機械的な介護になりやすいが、少人数ならもっと一人ひとりを大切にした介護ができるはずだと頑張っている。そういう介護に携わる人たちを見ていると、基本的に人が好きなのだと思う。この人から何かをしてもらおうというのではなく、この人に何をしてあげられるか、そんなことばかりを考えている人たちだ。
与えてもらうことばかりを考え、まだ足りないと不満に思う人もいるが、与えることが充分にできていても、まだ不十分ではないだろうかと心配する人もいる。今日の中日新聞の生活欄はキリストの愛について触れ、「無条件に相手を愛する、それが本当の愛なのです」とあった。無条件で無償で人を愛することができる人はいる。驚きとともに感謝したい。
丹羽国子さんには、大和塾で講演していただく予定でいる。
午前中の会話の中で、私よりも歳の若い人が狭心症のため「もう長くないな」と言われていた。私が高校で始めて担任をした時の生徒が、やはり病で苦しんでいる。私よりも10歳も年下で、彼は高校時代は柔道をやり、応援団長も引き受ける頑丈な身体の持ち主だ。気持ちも明るく前向きで世話好きな男である。「憎まれ者世にはばかる」というけれど、本当にいい奴から先に旅立っていくようのだろうか。
そんな暗い話は後にして、楽しい話をしよう。精神科医療に携わったことが縁で、イギリスの病院を訪れた時、患者とスタッフが一緒に食事をしていたそうだ。そればかりか、地域の住民が「病院は私たちの誇り」と話す。そのことが忘れられなくて、丹羽国子さんは自宅を開放し、地域住民をはじめ、障がい者、不登校の子ども、認知症の高齢者、子育てに悩む母親らが気楽に集まって食事をし、会話を楽しむ「まちの縁側」を造った。
丹羽さんが新生児治療を担当していた時、保育器の外から声をかけ続けたそうだ。話しかければかけるほど、生命力を増す小さな姿に、「やっぱり、人とかかわることが何より成長につながる」と確信したと言う。一人暮らしの丹羽さんは、話し出せば次々と話題があふれ出てくる。「人はみんな素晴らしい存在」と言う。人とつながることが人を幸せにするのだ。
介護に携わる人たちも同じだろう。大きな施設では、機械的な介護になりやすいが、少人数ならもっと一人ひとりを大切にした介護ができるはずだと頑張っている。そういう介護に携わる人たちを見ていると、基本的に人が好きなのだと思う。この人から何かをしてもらおうというのではなく、この人に何をしてあげられるか、そんなことばかりを考えている人たちだ。
与えてもらうことばかりを考え、まだ足りないと不満に思う人もいるが、与えることが充分にできていても、まだ不十分ではないだろうかと心配する人もいる。今日の中日新聞の生活欄はキリストの愛について触れ、「無条件に相手を愛する、それが本当の愛なのです」とあった。無条件で無償で人を愛することができる人はいる。驚きとともに感謝したい。
丹羽国子さんには、大和塾で講演していただく予定でいる。