友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

風が強くなった

2008年10月11日 19時19分51秒 | Weblog
 雨が止んだと思ったら、風が強くなった。北風が庭の鉢植えの草木をなぎ倒していく。重いアルミサッシュの窓枠が風を遮ってかすかに震えている。秋から冬へ、季節が変わっていく。これからこのように強い北風が吹きつける日々が続いていく。荒れ狂う風の様子を眺めていると、寒さのためなのかなんとなく寂しくなる。秋は人恋しくなる季節だ。

 この強風に煽られて金木犀の花が吹き飛ばされていった。金木犀の香りが窓ガラスの隙間から部屋の中に流れ込んで来る。金木犀の香りはどうしてこんなにさわやかなのだろう。花の中には強い匂いのものもあるし、全く匂いのないものもある。植物が匂いを放つのは、虫を集めて受粉させるためなのだろうが、匂いの差は何か意味があるのだろうか。虫の目は複眼でよく見えるというか、感知するように出来ているという話を聞いたことがあるが、匂いをかぎ分ける機能はどんなことに役立っているのだろう。

 虫は花から花へと蜜を求めて飛び交うが、この強風の中では草木の中でじっとしているだろう。虫よりも進化している動物もほとんどは食べるために生きている。もっとも進化した霊長類でさえ生きている時間のほとんどを食べることに使っているそうだ。人間は食べ物を自ら作り蓄えることが出来るようになって、食べることから解放された。生きるために食べるというよりも、食べることを楽しむようになった。そう書きながら、けれども現実には食べることすらできない地域がある。片方では食べ残すことが文化になっている地域もあるのだから、人間の社会は動物が持っている平等性を無くした社会だ。

 人の感性も大きな差がある。病気の人や障害のある人を見ると、放って置けなくて自然と身体が動く人もいれば、気味悪がって近づくことも出来ない人もいる。男と女でも感性が違うような気がする。女の人はたとえば部屋の飾り付けや料理に気を配る。明らかに夫や子どもたちに喜んでもらいたいためだ。ところが男はそんなことに全く気がつかない。女の人の感性が自分よりも他の人のために働こうとするのに、男の感性は自己中心であるように感じる。それは女の性と男の性の違いなのだろうか。

 同じ人間でありながら、人間は生きている時代や地域によって生き方が違うし、同じ空間で生きていながら男女によって感性が違うという誠にややこしい存在だ。しかし、だからこそ文学が科学と同じように成り立つのかもしれない。
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これからの夢は何?

2008年10月10日 21時28分50秒 | Weblog
 確か、ノーベル化学賞の受賞者に決まった下村脩・米ボストン大学名誉教授に対するインタビューの時だと思うけれど、「これからの夢は何ですか?」と尋ねられ、下村先生は答えに窮していた。何でも尋ねればいいものではないと、このアナウンサーは気が付かないのかなと笑ってしまった。おそらく若い人なのだろう。「その時のお気持ちは?」とか、何も考えずに型どおりの質問しているなと思ったけれど、80歳の老人に何を語らせたかったのだろう。

 若い時なら、これからこんなこともやってみたいし、こんな人生の夢を描いているという話をすることが出来るだろう。年老いるということは、そうした挑戦する時間とか気力とかを無くしていくことだ。いや、老人の中にも「夢」を追っている元気な人もいるが、そういう人は人前で、あまり得意になって話さない。自分が納得できればよいことなので、若い時の「夢」とは一味違うように思う。

 いつだったか、命の終わりが近づいていて、「最後に何がしたいですか?」というような質問がなされていた。その時の答えがどんなものだったか覚えていないけれど、よくある設定の質問ではあるが、ケースによって全く違うんじゃないかと思う。健康で体力がある人、遣り残してきた何かを抱えてきた人、その立ち位置で考えることが違うように思う。

 ソフトバンクの王前監督は「50年、ひとつの道にどっぷりつかり、68歳になってもなお心ときめかせてやれておれるのは、本当に幸せだった。」と引退の記者会見で話していたが、なかなかそうした心境になれる人は少ないだろう。自分の人生は何だったのだろうとなお納得できる自分を捜し求めるか、あるいはこんなものさ人生はと達観してみせるか、そんなことも考えるヒマもないままに人生の終焉を迎えることになるのだろう。

 64歳、これからの自分の夢は「文学で、一刻も早く、それに打ち込みたい」と私の中学高校からの友だちは言う。彼ならば出来るだろうし、ぜひ、実現させてもらいたい。彼は「こんな私の本音は、家族にとっては、たぶん、それは人迷惑な話に違いない」などと謙虚なことを言うけれど、迷惑どころか大歓迎だろう。64歳にもなった父親があるいは夫が文学を目指して筆を取るなどというのは、立派な生き様であり手本だ。出来ることなら、何がしかの賞を獲得して欲しい。

 その時は、私たちにとってはノーベル賞に匹敵する快挙であるから、大いに祝賀会をやろうではないか。私もまた、彼に引きずられて、「私はとても幸せな人生だった」と満足し切っているが、多少は欲を出し、「じゃー、ボクも少し何か書いてみる」と書き留めた短歌などを応募してみようかなとも思う。
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マスコミは自社の姿勢を示した方がいい

2008年10月09日 22時03分20秒 | Weblog
 私のブログに2回も連続してトラックバックしてくれた人がいる。コメントとは違うトラックバックの意味が私にはわかっていないのかもしれない。どなたが送ってくれたのかわからないが、その内容は、「1993年の民間放送番組調査会の会合の中で、テレビ朝日の椿報道局長が選挙時のテレビ朝日局の報道姿勢に関して、“小沢一郎氏のけじめをことさら追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるよう名報道をしようではないか”との方針を局内でまとめた、という趣旨の発言を行なう」というものである。

 トラックバックの仕組みが私にはわからないので、どうしてわざわざ私のようなもののところにこんなものを送ってくれたのか、不思議でならない。私のことをよく知っている人なら、こんなものを送ってくるはずがないと思うからだ。送り主はどのような意図なのだろう。文面から推測すると、テレビ朝日はこんなにケシカランことをやっているということなのだろう。けれども私は、マスコミはこんなものだろうと思っているので、ケシカランという気持ちが全くない。

 報道は神様のように間違いを犯さないもの、中立で公平で正確なもの、そう信じている方は、椿局長の発言に怒りを覚えるかもしれない。けれども私は、報道に関係した者として正直に言うけれど、中立で公平で正確な報道などありえないと思っている。まず第一に中立、中立というけれど何が中立なのか誰も立証できない。公平だって同じだ。正確であるべきだから、これはできる限り裏づけを取るように務めるのは記者の義務だ。けれども記者は人間だから、自分の思考や思想から自由ではないし会社も同じだ。

 報道は中立・公平であるべきだとみんなが言う。報道各社はそのように努力しているだろうが、結果は必ずしもそうではないし、決してそうなるものではないのだ。むしろ中立ではない、公平でもない、とみんなが理解した方がいいと思っている。私は逆に、朝日新聞はこういう考え方の新聞とか、読売テレビはこういう考え方のテレビ局とか、マスコミはもっと自社の色合いを出すべきだと思っている。受け取る側が、これの好き嫌いをハッキリすればよいと思っている。

 なまじ、マスコミは中立・公平などというありえないことを求めることは、逆に中立や公平が存在するような幻想を与え、人々を惑わすことになる。人は自分で好きとか嫌いという意思表示を持つべきだ。そうしないといつまでも誰かの判断に従うことになる。
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アンサンブル・アミー演奏会を聴いて

2008年10月08日 22時53分45秒 | Weblog
 視覚障害者のラテンバンド「アンサンブル・アミー」の演奏会を聞きに行った時、少なからず面食らった。これほどまでに聴衆と楽団が一体化した演奏会は私には始めての体験だった。有名なミュージッシャンが会場の聴衆と一体化した映像を見たことがあるが、自分が体験することは一度もなかった。会場から演奏者に声援が飛ぶと演奏者は一段とエキサイティングな演奏を披露する。すると聴衆はさらにテンションが高くなる。

 恥ずかしい話だけれど、障害がある人に対してはどうしてもかわいそうとか気の毒という気持ちが先に立ってしまう。私自身もメガネがなければ物が見えないし、左足と両手は骨折しているから障害があるのに、自分は健常者の気になっている。私の左足の骨折のことを知らない人は、左足を引きずって見えるようだけれど大丈夫ですか?と聞いてくる。疲れているのか怪我をしているのかと推測して心配してくれるのだ。

 私が障害のある人を見て、かわいそうとか気の毒とか思うのと同じように、足の動きがちょっと人と違うことを見て取った人は、かわいそうにとか気の毒にと思うのだろう。障害のある人も障害のない人も、人として変わりないとは理屈ではわかっていても感覚では差別して受け止めてしまうのはなぜなんだろう。

 「アンサンブル・アミー」の事務局を引き受けている山田弘さんにお会いした。大和塾での講演会の講師をお願いするためだ。結果的には快く引き受けていただいたが、その時の話し合いでも、目の見えない山田さんを「目暗?」と言っていいものなのかと迷ったし、障害があるというだけでなぜか健常者は障害者を見下げたような態度を取ってしてしまうが、それは障害者に予想以上の苦痛を与えることにならないか、心配だと伝えた。

 山田さんは気さくな方で、そういう気兼ねをする必要はないと答えてくれた。それでもじゃあどんな風に接すればよいのかとなると難しい気がする。そこで率直に山田さんから見て、どのようにすることが平等な社会の実現なのか、話してもらおうと思い、そんな話もしてみた。山田さんは、よくある質問というような雰囲気で、「わかりました。何とかやってみましょう」と言ってくださった。来年1月17日に行う、大和塾の市民講座が楽しみになってきた。

 人はいつも自分だけは正常だと思っている。人と違うことに恐れを抱いている。だから、みんなが同じように考え、同じような行動し、同じような結論に達するものだと願っている。違う人は「変な人」というのはマイナスのイメージだ。けれども一人ひとりをよく見れば「みんな違ってみんないい」はずだ。私はそう思っている。
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ノーベル物理学賞の受賞者は同級生

2008年10月07日 22時35分55秒 | Weblog
 ノーベル物理学賞に名古屋市出身の二人が受賞されたとの報道に、カミさんはかなり興奮していた。何しろその一人である小林誠氏とは同じ高校で、同じテニス部だったそうだ。「そりゃー大変だ、ノーベル賞をもらったのだから、学校を挙げてお祝いをしてあげなくちゃね」と冷やかすと、「そんなのきっと誰かやるわよ」と興奮の割には冷静だ。テレビを見ていると、まるで身内のごとく喜ぶ人たちがいるのに。麻生総理や野田聖子大臣も日本人の誇りと喜んでいた。

 先回の高校の同窓会でも話題になっていたそうで、「もっと前からノーベル賞候補だったそうなのよ」と言う。私は物理学が苦手なので、小林氏らの研究がどのように価値があるものなのかわからないが、「宇宙や物質の成り立ちにかかわる根源的な現象を理論的に解明し、素粒子物理学の基礎となる“標準理論”を築いた功績が評価された」と報じられている。

 面白いなと思ったのは、昭和48年に、それまで素粒子を構成するクオークは3つと考えられていたものを、それでは説明がつかないから6つであろうとする「小林・益川理論」を発表したことだ。小林氏は同じ歳なのだから29歳の時だ。そんな若い時に、世界を相手に仮説を打ち立てる大胆さというか、勇気というものに驚かされる。

 そして次に、小林氏らノーベル科学者はそんなレベルではないのだろうが、先日観た演劇『東京原子核クラブ』を思い出した。科学者の発見というものは全くのインスピレーションで、そういう思い付きが浮ぶ科学者こそが偉大な科学者になれるというようなセリフだった。3つでは理屈に合わないが6つならば説明できるからというその仮説はその後に証明され、素粒子物理学の基礎理論となったのだそうだ。

 『東京原子核クラブ』では、広島に原爆が落とされ、たくさんの一般市民が犠牲になったことよりも、アメリカに先を越されたことに驚き、どのようにして作り上げたかに関心を持つ「科学者」を描いていた。その前の演劇『アルジャーノンに花束を』でも脳科学が智恵遅れを科学力で克服するストーリーだが、科学者は目先の成否に没頭する役割だった。

 物理にしても化学にしても医学にしても、そんなに研究してナンになるの?と凡人の私は思ってしまう。これも『東京原子核クラブ』の中でのセリフだったが、「科学は後戻りは出来ない」。確かにそのとおりだ。人が作り出したものは、どうやら多くが人の思惑を超えてひとり歩きをしてしまう。科学も経済も環境も‥。
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金木犀

2008年10月06日 21時57分49秒 | Weblog
 我が家のルーフガーデンに1本の金木犀の鉢植えがある。運動会の頃になると必ず花を咲かせ、甘い匂いが漂ってくる。私はこの香りを嗅ぐといよいよ運動会だという思いが強い。この頃では9月半ば過ぎから運動会が始まるが、私の子どもの頃は10月10日前後が多かったのではないかと思う。

 我が家の金木犀には思い出がある。私が始めて高校の教員になったのは22歳、この時1年生だった彼は15歳だ。彼は留年し、翌年私は彼の担任となった。1つ年上だからみんなと馴染めないかなと心配したけれど、同級生ともそして2年生の連中ともこだわりなく付き合っていたように思う。もちろんナイーブな男だったから、心の中ではいろいろあったかもしれない。

 私は学校の近くに部屋を借りて住んでいたが、彼はいつの間にか私の部屋に入り浸るようになっていた。私がいなくてもひとりで上がりこんで、本棚から好きな本を取り出して読んでいた。大江健三郎を好んでいたように思う。私も彼から教えてもらうことが多かった。彼の部屋にあったマンガ本で、私の知らなかった2・26事件の歴史を知ったし、米軍基地の問題も知った。ビートルズの次の音楽はこれだと言う彼の勧めで、原子音楽の「ピンクフロイド」を初めて知った。

 私が結婚してからは、新居の公団住宅へよく遊びに来た。忘れられない出来事もある。公団のトイレは洋式で、男は蓋だけでなく便座も上げて小便をするのだが、まだそんな便所がなかった頃だったので、彼は蓋だけ上げて用をした。当然うまく出来なくて恐縮していた。説明しなかった私がいけなかったのに、彼に恥をかかせることになった。

 彼は念願の会社に就職し、結婚式では仲人をさせてもらった。静岡の御殿場に赴任となり、私が毎年夏に家族を連れて富士山周辺に行っていたので、彼はぜひ泊まりに来いといってくれた。我が家では次女が生まれて1歳になったばかりだったと思う。彼の住居は会社の社宅で、3Kのかなり狭いアパートだった。丁度夏祭りの最中で、植木市もあり、そこで2本の金木犀を買った。

 金木犀は私の小学校にもたくさん植えられていたし、私が住んでいる「市の木」にもなっている。花の香りは私に昔を思い出させてくれるから、ぜひ庭に植えておきたいと思っていた。買ってきたうちの1本はカミさんの実家の庭に植えた。我が家の鉢植えと違って、結構大きくなったが家を建て替えた時に抜き取られた。

 我が家の金木犀はやせて弱々しいけれど、今年も花を咲かせている。私と兄弟のように行き来してくれた彼は今一人暮らしだ。身体もよくないようで心配だけれど、何かをしてあげられるわけではないから余計に気が重い。
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小池百合子講演会

2008年10月05日 18時40分02秒 | Weblog
 小池百合子さんの講演会に行ってきた。おそらく自民党の総裁選挙前であったなら、もう少し力が入っていたかもしれないし、聞く側もそれなりの興味を持って聞いたのかもしれない。総裁選挙の裏話は聞かれなかったが、どうして負けたのかについてはなんだか弁明に近い話であった。総裁選挙では地方票は形の上では得られなかったが、それでも愛知県では4千何がしあったのよ、というものだった。

 孫子の兵法に関心があったというが、それを応用したのは麻生陣営で、彼女はなす術もなかったのだろう。マドンナと持ち上げられていたとしても、自民党の男体質は変わることがないから、結局は使い捨てというところだろう。彼女が頼りにした小泉さんを見ればわかる。小泉さんは一緒に戦った同士よりも、自分の跡継ぎである息子を大事する旧来の自民党政治家だった。

 小池さんは、行政の縦割りを無くさなくては日本の政治は変わらないと言う。しかし官僚制度の問題点もその打開の方向も観念的だった。小池さんの話で面白いなと思ったのは、日本人は「ちぢみ志向だ」という分析だった。軽薄短小を尊ぶのも日本人の「ちぢみ志向」にあると言う。つまり、視点がどんどん個にいってしまう。これを逆手にとって、個の「マインド」を変えることから政治を変えることが出来ると彼女は言う。オイルショックの時、オイルに代わるエネルギーの開発、節約や再利用、エネルギーの高利用など、日本人は素晴らしい力を発揮した。それは日本の底力だと言うのだ。

 そんなことを麻生総理も言っていたように思う。私は、資本主義経済が世界的に行き詰まってきているのに、これ以上の経済発展は望めないと感じている。経済発展をしない社会のあり方こそが模索されていかなくてはならないと考えている。小池さんの話の中で、石油産油国が石油を使わない社会を作ろうとしていることは興味を引いた。確か以前、ドバイでは石油が枯渇した暁には、農業生産国として成り立つように、海の水を真水に変えて、豊富な太陽光を利用した農業が研究されていると聞いたことがある。

 小池さんは「危機感を共有できれば、大きな力を発揮できる」と講演を結んだ。小池さんが孫子の兵法にある「己を知り、敵を知る」を引用して、「己を知る」と最後に言ったのは日本の国の底力を知ろうということであったが、私はなぜか彼女は自身をどのように知っているのだろうかと思った。その方が興味深い。
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「死」に向かう人

2008年10月04日 18時00分15秒 | Weblog
 マンションの上に住むお年寄りは入院している。毎年夏に、我が家でビアパーティーをするのだが、よく飲み、よく話し、なかなかの豪傑の印象が強い。彼は北海道の出身で、奥さんは樺太生まれだった。お二人ともお酒が強く、陽気な人で、しかも料理が得意だった。私はこのビアパーティーで、奥さんが作ってくる料理が楽しみだった。時には嫁に行った一人娘さんがお孫さんを連れて参加してくださったこともあったが、そんな時の彼は一段とテンションが上がっていた。

 奥さんを先に亡くされ、一人暮らしをされていた。「料理が大変でしょう」と話すと、「娘なんか、私の料理を食べに来るんですわ」とおっしゃる。料理は得意で、私が好きだった奥さんの手料理も彼が味付けしたものだった。今年の夏、彼は80歳になったが、我が家でのビアパーティーには参加できなかった。北海道の鮭の燻製を「これは肴に一番いい」と皆さんに振舞っていたが、その姿がないのは寂しい。大声で話し、ゲラゲラと笑う声が聞けないのも寂しい。

 彼は、長女が勤めている病院に入院している。ガンを宣告され、ホスピス病棟を希望して移った。病気との闘いは相当苦しいようだ。2度ほど見舞いに行ったけれど、まだ元気だったから受け入れてくれたが、最近では皆さんに「見舞いには来るな」と言っているそうだ。そう言っているのに、長女には「毎日覗いてくれ」と言ってくるらしい。

 その気持ちはよくわかる。元気な時の自分を知っている人たちに元気でない自分を見せたくないのだ。だからといって、誰も来ないのでは寂しすぎる。もちろん看護師さんは定期的に見に来てくれるが、わがままや愚痴や甘えることは出来ない。そこで長女のように、看護師ではあるが病棟の担当者ではなく、小さい時から知っている身内に近い存在は、話せないことが話せる。長女に話しておけば、私につながるし、私の判断で近所の知り合いにも伝えられる。

 どんなに我慢強い人でも寂しさだけは耐えられるものではない。人はどんな些細なことでもいい、どんなに他愛のないことでもいい、誰かに何か話していたいものだと思う。人は一人では生きていけない寂しい存在なのだ。看護師とか介護士という職業は、こうした人間のわがままを正面から受け止めないといけないから、大変な仕事である。高齢になった人や病んでいる人はどうしてか自分を制することが出来ない。いやそれだけ、自分を受け入れて欲しいと願っているのだ。看護師や介護士になる人は、人が好きで人の役に立ちたいという気持ちが人一倍強いからありがたい。

 ひとりで「死」に向かう人にとって、看護師や介護士はかけがえのない存在であることは間違いない。
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「死」は自然のこと

2008年10月03日 21時46分49秒 | Weblog
 毎日ブログを書くためにはそれなりにアンテナをめぐらし、ちょっと気になる言葉に出会えばそれをノートに書きとめ、その言葉から次々と文章が生まれてくれば、このブログの千文字くらいは書ける。ところがいくら考えても、いくら新聞や読みかけの書籍などを眺めても、何も考え付かない時がある。そんなに苦労して書いているわけではないが、また、苦労してまでも書こうというほどのものでもないが、ブログに飛びが出来てしまうことが癪に障るのだ。

 そこで10月1日のブログに続いて、再び中学高校時代からの友だちのブログから引用させてもらうことにする。今日は「恋」の話ではなく「死」の話である。

 彼は「女房に誘われるままに、この『おくりびと』という映画を観て、自分が死に対して、無意識のうちに真正面から見据えることを避けてきたことに気付かされた。」と書いていた。これまでに多くの人の「死」と対面してきたことを挙げ、「おそらく葬式という荘厳さと葬送の緊張感、そして、死は生けとし生きるもの、すべからくやってくるもので、血脈や縁で繋がる人たちの死からは、どんなに目を逸らそうと思っても、逃れられるということはないという義務感が、自分のすべての感情を超越させてしまったのであろう。」と振り返る。

 彼は「決して、訪れる死から逃避せず、むしろ、死を直視することで、これからの自分の残された生を、いかに生くべきかを浮かび上がらせるのではないだろうか。」と、「死」を今度は自分のものとして受け止めようとしている。いや、彼が「死」を意識しているわけではない。「死」を重いものだとして避けてきたけれど、自分がこれからどう生きていくかを考えていこうということだ。

 彼は「6ヶ月検診に行き、先生から肺にある腫瘍は余り気にしないで、年に1回の人間ドックを定期的に受けることで、充分対応できると言われ、ほっとして家に帰ってきた」のだ。肺ガンの心配はなくなった。それはおどろおどろしく自分に付きまとっている不安なものと決別できたことだと思う。不必要な不安の中にいることは耐えられない。むしろ敵はハッキリと見える方がいい。

 私たちも60代も半ばとなった。よくもここまで生きてきたものだ。私たちの残りの人生がどれほどかはわからない。また、どんな展開が待っているのかもわからない。それでも私たちは、これからの人生を大切に、そして今日よりも明日、明日よりもその翌日が充実した日々となるように、結果のことなど考えずに生きていくだろう。もちろんその軌跡はみんな違う。みんな違うから人生はそれぞれに輝いているのだと私は思っている。
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小沢氏の代表質問

2008年10月02日 19時30分37秒 | Weblog
 今日は朝から鼻水が止まらない。ハクションも連続して起きる。やはり秋は花粉症の季節か。そう思っていた。私と同じような症状の人がいて、その人は(病院に行って来たら)「花粉症の症状は出ているけれど、風邪もひいています」と言われたという。そうなのか、自分ではずーっと花粉症だとばかり思っていたけれど、風邪だったのかと納得した。

 私はどうも検証もせずに思い込んでしまう傾向がある。辞任した中山国土交通大臣のことを思い込みだけで決め付けていると批判したけれど、そうか自分も同じかと思いガッカリした。昨日、一度くらいはキチンと国会中継を見てみようとテレビをつけた。民主党の小沢さんが代表質問をしていたが、見ていても迫力がなくそのうち睡魔に襲われ眠ってしまった。気がついた時はもう終わりがけで、どんな代表質問だったのか、夜のテレビニュースで知ることになった。

 麻生首相が、所信表明演説とは思われないほど、挑発的なまでに民主党への質問攻めを行なったのに対して、小沢さんがどんな代表質問をするのだろうと思ったが、またこちらは民主党の政策一辺倒で、とても議論とはならなかった。小沢さんの後で質問に立った自民党の細田幹事長は質問に先立ち、小沢さんが自民党の幹事長であったこと、そして自民党を飛び出したがその多くが今は自民党に復党し、小沢さんとはやりたくないと言っていること、小沢さんが国民に人気がないのは明白だと、「小沢」攻撃に徹していた。

 おそらくこれは総選挙での自民党の戦略であろう。「小沢」という人物像を危険な男と位置づけ、それをあぶりだすことで民主党のイメージダウンを図ろうというものだ。国会でのこれからのやり取りがどんな展開になるかは、攻撃する民主党の力量にかかっている。国民がスカッとするような追求が出来れば総選挙で政権交代へ一歩踏み出すだろう。けれども、これまでどおりのやり取りなら、このまま自民党政権が続くことになるだろう。

 とはいえこれもまた、私の思い込みかもしれない。何しろまだ、鼻水が止まらず頭はボーッとして目はショボショボとなんとも情けない状態なのだから。そんなわけで、今日はここまで。
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