裁判員制度が今日から始まった。始まったというものの、すぐに裁判が始まるわけではない。今日以降に起訴された殺人や傷害致死のような重大事件について、初公判の始まる6週間前までに裁判員候補者に「呼び出し状」が送られてきて、その中から実際に裁判員となる人が決まり、そして裁判が始まるので7月下旬になるようだ。
それでも、司法試験に合格し一定期間の修習を終えた者によって行なわれてきた裁判が大きく変わることは間違いない。知り合いの弁護士は「アメリカの策略ですよ」と言っていたが、真理のほどはわからない。「難しくてわかりにくい」とか「審理が長い」と批判されてきた裁判がこれで変わるとは私には思われないし、市民感覚が反映され司法への信頼が高まるとも思えない。
審理が長すぎて、原告や被告が亡くなることがある。それは誠に残念だと思うけれど、審理を早めて間違った結論を出す方がもっと怖い。「やっぱり犯人に違いない」と思い込み、印象や雰囲気だけで無実の人が有罪にされてしまうことが怖い。裁判が公正で市民感覚を反映したものとなると、その判決を覆すことはかなり困難になるのではないだろうか。
「人の一生を左右することは私には出来ない」というのが市民の本音だと思う。参考意見として聞くだけであるなら、市民でも裁判に参加する人はあるかもしれないが、実際に死刑とか無期懲役とかを自分が判断しなくてはならないとなれば躊躇する方が当たり前だと思う。市民は裁判官のように法的な知識を体系として積み上げていないし、ましてや公正な裁判の訓練も受けていない。
今日の同じ新聞に、和歌山市の毒物カレー事件で、最高裁は林真須美被告の判決訂正申し立てを棄却する決定を報じていた。これで林被告の死刑が確定したことになる。もし、林被告が本当の犯人でなかったなら、これでもし、死刑が実施されたなら、林被告の無念は計り知れないだろう。決定した裁判官は胸が裂けそうな思いになるだろう。
また、今日の新聞で愛知県西尾市の市議会が中村市長に対する不信任決議を全会一致で可決したと報じていた。これで中村市長は失職となった。中日新聞に「本会議での質疑や討論もなく、全員が採決でただ起立した」とあり、続いて「新人議員の一人は『あまりにも淡々として傍聴者も疑問に思う』と話した」とあった。私が怖いなと思うのは、中村市長は受託収賄罪で起訴されたわけだが、それは本当なのか仕組まれたものなのか、議会として調査する百条委員会の設置動議を賛成少数で否決していることだ。議会は自らの役目を放棄している。
頭から決めてしまっていいのか、じっくり時間をかけて調査し審理しなくていいのか。いつ自分が被告の立場に立たされるかもしれないという気持ちがなくてはいけないのではないかと私は思う。人が人を裁くことは難しい。公正な裁判を訓練されてきた裁判官でさえきっと幾通りかの過った判決を下したかもしれない。一般の市民に裁判官と同じことを求めるのは酷だと私は思う。
それでも、司法試験に合格し一定期間の修習を終えた者によって行なわれてきた裁判が大きく変わることは間違いない。知り合いの弁護士は「アメリカの策略ですよ」と言っていたが、真理のほどはわからない。「難しくてわかりにくい」とか「審理が長い」と批判されてきた裁判がこれで変わるとは私には思われないし、市民感覚が反映され司法への信頼が高まるとも思えない。
審理が長すぎて、原告や被告が亡くなることがある。それは誠に残念だと思うけれど、審理を早めて間違った結論を出す方がもっと怖い。「やっぱり犯人に違いない」と思い込み、印象や雰囲気だけで無実の人が有罪にされてしまうことが怖い。裁判が公正で市民感覚を反映したものとなると、その判決を覆すことはかなり困難になるのではないだろうか。
「人の一生を左右することは私には出来ない」というのが市民の本音だと思う。参考意見として聞くだけであるなら、市民でも裁判に参加する人はあるかもしれないが、実際に死刑とか無期懲役とかを自分が判断しなくてはならないとなれば躊躇する方が当たり前だと思う。市民は裁判官のように法的な知識を体系として積み上げていないし、ましてや公正な裁判の訓練も受けていない。
今日の同じ新聞に、和歌山市の毒物カレー事件で、最高裁は林真須美被告の判決訂正申し立てを棄却する決定を報じていた。これで林被告の死刑が確定したことになる。もし、林被告が本当の犯人でなかったなら、これでもし、死刑が実施されたなら、林被告の無念は計り知れないだろう。決定した裁判官は胸が裂けそうな思いになるだろう。
また、今日の新聞で愛知県西尾市の市議会が中村市長に対する不信任決議を全会一致で可決したと報じていた。これで中村市長は失職となった。中日新聞に「本会議での質疑や討論もなく、全員が採決でただ起立した」とあり、続いて「新人議員の一人は『あまりにも淡々として傍聴者も疑問に思う』と話した」とあった。私が怖いなと思うのは、中村市長は受託収賄罪で起訴されたわけだが、それは本当なのか仕組まれたものなのか、議会として調査する百条委員会の設置動議を賛成少数で否決していることだ。議会は自らの役目を放棄している。
頭から決めてしまっていいのか、じっくり時間をかけて調査し審理しなくていいのか。いつ自分が被告の立場に立たされるかもしれないという気持ちがなくてはいけないのではないかと私は思う。人が人を裁くことは難しい。公正な裁判を訓練されてきた裁判官でさえきっと幾通りかの過った判決を下したかもしれない。一般の市民に裁判官と同じことを求めるのは酷だと私は思う。