友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『中学生日記』の最終回

2012年03月21日 18時12分15秒 | Weblog

 NHKで長く放送されてきたドラマ『中学生日記』が昨日、最終回を迎えた。昨日のテーマは「命」で、「いじめ」を取り上げていた。最終回にふさわしく、この番組から俳優の道に進んだ竹下景子や加藤晴彦なども出ていたが、重い問題によくぞ取り組んだと思った。卒業式を直前にした中学3年のクラスで2つの陰湿ないじめが行われていた。1つは、卒業式で歌う合唱の指揮をする女生徒に対して、「あんたの指揮じゃー歌わないからね」というもの。もう1つは、小さい時から身体が小さくてみんなにオモチャ扱いにされている男生徒に対する執拗過ぎるほどのいじめ。

 女生徒は卒業式で立派な合唱を聞かせたい気持ちから、「もっと大きな声を出して」とクラスメイトに厳しく当たってしまう。女子の中には猛烈に反発するグループがあって、歌おうとしない。担任が中に入って、何とかまとめようとする。反発していたグループは「ちょっとしたケンカだけ」と言い、「ごめん」と仲直りを申し出る。「あんなに言ってるんだから、許してやってよ」とクラスメイトも言う。担任もこれで万事納まったと思う。しかし、反発していた女子は「式では歌わないからね」と彼女に向かって釘を刺す。

 担任はいじめの問題をクラス全員にあからさまにして問いかけた。相手は中学生だ、これでは何も解決しないだろと思った。じゃあ、どうすればいいのか、問題がどこにあるのか、個別に当たって聞くことから始めることかなと思う。けれど、実際はケースバイケースで、この方法でいいというものはない。教師の情熱は大切だけれど、冷静さを失ったら何も見えないし、タイミングが悪かったり、時間が長引けば事態は悪化する。教師が無関心であったり、逆に過剰に反応すれば、問題はますます解決しないだろう。「いじめ」は一生涯続くわけではないけれど、受ける側はこんなことが一生涯続くのかと思ってしまう。

 だから男生徒の方は、死のうと思っている。毎日、繰り返されるいじめと実行者を克明に記録し、自分が死んだらこの手帳がきっとあだ討ちをしてくれる。いじめをしている連中に立ち向かうことは出来なくても、死を持って復讐してやるのだと決意している。彼のことも担任はクラス全員に「死のうとしてるんだぞ」と訴える。いじめを受けていた男生徒に担任は「困ったことがあったら相談してくれ」と言う。彼は「いじめはなくなるのか」と問う。「先生に言ってもいじめはなくならない」と言う。彼が言うようにいじめはなくならないのかも知れない。けれども、これほどの陰湿ないじめを食い止めることは出来るだろう。

 いつの時代にも、どこの国にも、どんな場所でも「いじめ」はあったのかも知れない。いじめている方は意外なことに気が付いていない。だからこれは、価値観や生き方の問題なのだろう。先日、『世界で一番受けたい授業』というので、オランダが取り上げられていた。オランダの学校ではカリキュラムがない。好きなことをやっていく。「どうして同じことをしないのか?」と子どもたちに聞くと、「勉強の好きな子もいれば、運動や音楽の方が好きな子もいる。みんな違っている」と答える。テストはあるが、「点数は気にする必要はない。だって、みんな違うんだから」と言う。「勉強は自分のためにするんだよ」とまで言うのだからビックリする。

 オランダにいじめはないと言い切れないが、いじめるよりも仲良くしていた方が気持ちいいという空気は日本よりも多いだろうと思った。「親の役割は、子どもが何になりたいか、そのためにどうするのか、応援し支えることだ」とオランダの親は言う。

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やっと帰ってきました

2012年03月20日 14時36分07秒 | Weblog

 突然休んでしまい、申し訳ありません。昨日、やっと戻ってきました。1週間ぶりの我が家です。心配したコメントが来ているかと、早速パソコンに向かったのに何もありません。そんなことを期待している私の方が子どもっぽいと気付きました。考えてみれば私自身、友だちのブログが長い間更新されなかった時、騒がずに時の来るのを待とう、それが大人の態度だろうと思っていました。この1週間の詳しいことはまたいつか、別の機会に触れたいと思っています。

 人生には、何かが突然に起きることがある。じわじわと準備されてきたことなのかも知れないが、本人にとっては全く予期していないことで、驚いているのになぜか素直に現実を受け入れてしまっている。私は最近、逆らっても仕方がないと思うことが多い。諦めるというわけではない。何度も言うけれど、戦争はどんな理由があっても反対だ。だからいつまでもそう言い続ける。格差の小さな社会にしようと言い続ける。けれども、歴史の流れはそうなってはいかない。いかないから言わなくてもいいとは思えない。

 中日新聞のコラム『けさのことば』を連載していた歌人、岡井隆氏の著書『わが告白』の中に「会議で臨席の女性とごく事務的な話をかわしていた。会議が長引いて自宅に帰れなくなった。臨席の女性と一度だけ関係する。男は冷静で物静かだが、その時ある閾をこえた」という夢の話がある。私は「閾(しきみ・しきい)」が読めなくて、よく覚えている。なぜ、この夢の話が書かれているのか分からないが、人生には思いもよらないことが起きるということなのかも知れない。

 岡井氏はアララギの歌人で、NHKや新聞社の短歌教室の講師であり選者である。一度講演を聴きに行ったが、岡井ファンがたくさんいてビックリした。名古屋出身の岡井氏はキリスト者で、医学部の学生だった頃は日本共産党のシンパだったのか、地下に潜り権力を奪取する方針に従っていたようだ。今は、宮内庁の御用掛となって、天皇や皇后の歌の指導をしている。私は岡井氏の経歴など全く知らなかったが、とにかく短歌の世界ではトップにいる人なので、岩波新書の『短歌の世界』を読み、次に私的な部分から学ぶものをと思って『わが告白』を読んだ。

 この本は昨年の12月に発行されているので、最後の章には3・11についても書かれている。そこには「原子核の構造を探り当て、そこから巨大なエネルギーを解放するための理論と方法をあみ出した人間の英知に無限のあこがれを抱いてきた」とある。「原子力という人類がやっと手に入れた最高の宝を魔女裁判にかけてはいけない」「自然は、制御不可能で、上手につき合う他ないが、原子力など人間の造ったものは努力すればコントロール可能である」。

 3月16日に詩人で思想家の吉本隆明氏が亡くなった。全共闘世代には神様のような人だったが、「反原発は人間の進歩性、学問の進歩を否定するものだ」と批判し、「原発はどんなに危なくて退廃的であっても否定することはできない」と発言している。岡井氏は82歳、吉本氏は87歳、ボケたのかと思ったけれど、共に理系の人で、原発に対する認識は似ている。ふたりは人間の知恵を信じている。私は全く逆で、人間の情を信じている。

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3・11で何か変わったのか

2012年03月11日 19時37分56秒 | Weblog

 3・11、何とも嫌な響きである。9・11とか2・26とか、特別な日をこんな風に記憶に留めておくということなのだろう。この日のことはよく覚えている。私は名古屋に居た。揺れた時はビックリした。比較的近い場所で地震が起きたと思った。後で東北と知って、こんなに遠くまで伝わるものなのかと驚いた。地震だけならともなく、津波が猛威となって街を襲い、さらに原発事故が発生し、日本中がパニックになった。世界の目が日本に注がれた。

 追悼式が「君が代」と共に始まった。野田首相がいつもどおり「全力で取り組みます」と述べ、天皇が追悼の言葉を述べた。日本は間違いなく元首国家だと痛感した。天皇自身が強くそれを意識されている。皇室が生まれて以来、常に政治の道具にされてきたけれど、そういうものと理解されているのだろう。皇室を辞めたい人はどうすればいいのだろうと要らぬ心配をしてしまう。辞めたい時はいつでも辞められるような法律は出来ないものなのか。人に職業選択の自由が有るのに、皇室には無いとは気の毒だと思う。

 あの日のことを多くの人が語っている。祖母は避難するために障害のある孫娘を車に乗せた。すぐ傍まで津波が押し寄せて来ている。自分が車に乗り込めば、津波からは逃れられなくなると判断した祖母は、「早く行って」と運転席の夫に手を振る。孫娘は助かったけれど、祖母は津波に飲まれて亡くなった。車で避難している途中、渋滞となり車は動かなくなった。ある人は傍の家に駆け込み、2階へと上がって助かった。迷った人は車ごと濁流に流された。そんなわずかな差が命を助けたり奪ったりしている。

 原発事故の直後、首相官邸は情報が届かずパニックだったことが新聞報道で明らかになった。官僚政治からの脱却をスローガンにした民主党政権に、官僚機構は非協力で答えたのだ。官僚たちを槍玉に挙げていた菅直人前首相はしっぺ返しを食らった。だから野田首相は官僚の言いなりになろうと腹を決めた。人の命は運命によって左右されるけれど、政治は人が作り出したもの、どのようにでもなる。それなのに、人が求める方向とは全く違う方へと行ってしまう。いったい、なぜなのだろう。

 復興を目指すというのは、元に戻すことなのかと思ってしまう。確かに、自治体の首長や職員やそれにつながる人々は、元に戻らなければ仕事が無くなって困るだろう。けれど自治体が無くなる選択もあると思うが、首長の誰もがそんなことは言わない。放射線で汚染された瓦礫の処分をどこの自治体も受け入れたくない。それは当然なことだ。だったら、原発事故が起きた福島原発の周囲に置くより他には無い。絆とか連帯とか言っても、自分のことが大事なのだ。

 原発の研究は進んでいるので、より安全な原発も出来るだろうと言う評論家がいる。原発を無しにすれば電力不足が生じて経済の発展は無くなるとも言う。電力不足になれば生産が上がらないのであれば、それを受け入れればいいではないかと思う。電気に頼る生活が変わるきっかけになるだろう。3・11で何かが変わっただろうか。政治も社会も会社も地域も学校も何も変わらない。でもきっとどこか深層で、何かが変わっていると私は思う。

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演劇『バターに塗れて追い廻す』を観ました

2012年03月09日 18時32分32秒 | Weblog

 姉の誕生日である。私とは14歳も離れている。お正月に我が家に集まった時に、部屋の胡蝶蘭を見て、「これはどうしたの?」と聞く。「花の茎にできた高根を育てたら、こんなに大きくなった」と説明すると、「これ、ちょうだい」と言う。「胡蝶蘭は1本もないの。誰もプレゼントしてくれない」とまで言うので、「じゃあ、誕生日に持って行ってあげる」と答えた。花芽は出てきて日毎に伸びたけれど、間に合わなかった。花屋で似たような胡蝶蘭を探して持って行ってきた。

 「ランは難しいね」と姉は言う。「きっと、水をやり過ぎるからだよ。冬は水コケがかなり乾いても水はやらなくていいからね」と言うと、「そんなものかね」と信用できない表情だ。花を可愛がり過ぎて、根を腐らせてしまうことが多い。冬場の水やりは鉢を部屋の中に入れていても、温度が下がって根を傷めることがある。「愛情過多は人にはよくても花には禁物だね」と言うと、また、「そんなもんかね」と答える。「ひとりは寂しいでしょう」と出そうになったが、言ったところでどうすることも出来ないのに、口にするのは酷だと黙った。

 昼からは、演劇『バターに塗れて追い廻す』を見た。大須に七つ寺スタジオというアングラ劇場があるが、それよりもさらに小さなところだった。大学祭で見せてもらった時に、連絡先を書いたので、案内状が送られてきたのだ。演劇の手法は大学祭の時と同じだったけれど、実によくできた作品だと思った。題名から想像していたのは、かなりきわどいアングラものなのかと思ったが、なかなか堂々とした作品であった。役者も学生とはいえ充分な練習を重ねていて、見応えがあった。

 凄くきれいでみんなが憧れる女性がいる。その女性のファンクラブまであり、彼女を追いかけるストーカー、そのストーカーを追いかけるストーカー、そしてまたそのストーカーを追いかけるストーカーがいる。この線が結ばれたなら、それは円になる。童話『チビクロサンボ』のように、グルグル回って溶けてバターになるというところから題名が付いたのかも知れない。この演劇では、好きになるということはどういうことかを一貫して問うていた。学生の原作をみんなで練り上げたものらしいが、素晴しい作品だと思った。

 好きだから、見ていたい、見返りなんか求めていない。好きになられる方はどうなのか。見ているなら自分の全てを知って欲しい。好きなら愛しているなら、自分に接して欲しい。運命の赤い糸があるのなら、それはどういう形なのか。好きと恋と、好きと愛と、恋と愛と、一緒なのか違うのか、恋することと愛することでは行動は違うのか、悩む。苦しむ。好きになることを受け入れるとはどういうことなのかともがく。学生演劇らしい純真な探求が、グングンと舞台に引き付けていくから、ストーリーの面白さや演出のうまさに秀でるものがあるのだろう。

 さらに、兄弟姉妹の葛藤、優秀なものとそうでないもの、キレイなものとそうでないもの、人の表面に現れたものによる差がもたらす幸福と不幸、様々に入り組む人間の世界が加わり、壮大なテーマを若者らしい切り口で取り上げていき、新鮮な感動を与えてくれた。さて、明日は誕生日会なので休みます。

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焦らず春を待つ

2012年03月08日 18時12分25秒 | Weblog

 

 ブラウンの電気かみそりを使っている。若い頃、かみそりで髭を剃るとひどく肌が荒れた。先輩教師が「電気かみそりがいい」と教えてくれた。丁度、家電メーカーが電気かみそりを売り出し始めた頃で、国産品を買った。しかし、切れ味もいまいちで、調子もよくなかった。先輩教師は「それぁー国産はダメだ。ドイツ製が堅牢でいいぞ」と言う。そこで初めてブラウンの電気かみそりを買った。20代の半ばだったと思う。

 電気店の店員が「ブラウンはデザインがあまり変わらないので替え刃に困りませんよ」と言うので、2代目もブラウンにした。それからずうっーとブラウンを使い続けている。2月になって、髭を剃ろうとすると何か引っかかる。よく見ると外刃に小さな穴ができている。替え時が来たのだ。このブラウンは10年以上使っている。内刃も外刃も2度取り替えている。電気店でブラウンの替え刃を探していると女店員が「何をお探しですか」と聞いてくれた。

 「ブラウンの4800というシリーズの刃なんですが、どうもないみたいで‥」と答えると、「実物を持ってきていただくのが一番確かなんですが」と言う。それでブラウンの替え刃が並べてあるところをもう一度見ていたら、確かこれではないかと思う外刃があった。「あの、すいません。これの内刃はどれですか?」とたずねる。「それですと、こちらですが、一度実物を持ってみえた方が‥」と言うのを遮って、「いや、これだと思います」と言ってしまった。女店員は心配して、「パッケージを開けなければ、お取り替えできますから」と念を押してくれた。

 家に帰って、忠告に従いパッケージを開けずに古い電気かみそりと見比べてみた。パッケージに書いてあるシリーズは2つしかない。いや、ブラウンはデザインを変えても刃は共通して使えるようにしているはずだ。内刃を見ると間違いなく古いものと同じだ。そう思って、パッケージを開け、セットしてみる。よし、じゃあ、外刃もこれだと思って取り出し、嵌めようとするができない。かみ合う場所が微妙に違う。6千円何がしも払って、おじゃんである。腹が立つというよりも自分の判断に情けなくなった。

 こういう落ち込みがよくないのか、体調不良でもないのに、低脈拍が続いている。昨年の9月以来、右膝が痛くなって長い間じっとしていた。身体を動かすことが極力少なくなった。ドキドキすることもなくなった。「心電図は異常だが、他にこれといったものが見当たらないので、様子を見ましょう」と医者は言う。恋の病は医者では治せない。以前はお酒を飲むと脈拍が上がったのに、秋以降は下がったままだ。少し運動をした方がいいと人は言う。チューリップもかなり芽が伸びてきた。温かくなれば草花の手入れもしなくてはならなくなる。焦らず、ゆっくり春を待つことにしよう。

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5分咲きの梅を見た

2012年03月07日 19時01分52秒 | Weblog

 また寒くなって、明日からは雨になるという。神社から井戸掘りの問い合わせがあって出かけた。神社には梅の木はなかったが、行く途中で白と紅それぞれ1本の梅の木を見た。どちらもまだ5分咲きだった。友だちがウグイスの鳴き声を聞いたとブログに書いていた。この辺りではウグイスを見かけるのは稀になってしまった。私が子どもの頃は、多分その当時も野鳥を家で飼うことは禁止されていたであろうが、ウグイスを飼っている人がいて、その家へ鳴き声を聞きに行ったことがある。

 私の住まいの近くにある神社は神主が駐在していない。隣近所の氏子が神社を運営している。神社は寺以上に運営が大変だと言う。有名な神社には神主はもちろん、神社で働く人も何人かいて、運営は順調だそうだけれど、地域の守り神である小さな神社は氏子になる人が減っているそうだ。寺でも檀家が多いところはやっていけるけれど、少ないところではお坊さんの生活ができなくなっていると言う。私たち日本人は、生まれて神社へお礼参りに行く。また正月には初詣に出かける。それが近頃では、地域の神社ではなく大きな名前の知れた神社へ行くそうだ。

 合格とか病気回復とか家内安全とかの願いごとは神様に祈り、結婚式は教会で行い、死んだ時はお坊さんを頼む。そんな風に神様や仏様を勝手に使い分けてきた。昔は神式で葬式を出す人もいたけれど、近頃は少なくなったと言う。「坊主まるもうけ」と言うが、それがそういかなくなってきているそうだ。仏壇があって月参りもあったのに、年寄りが亡くなると若い家主は「月参りに来なくてもいい」と言い、「檀家を離れる」と言う人までいる。そうでなくても転勤で故郷を出て行く人もいる。先祖代々と墓石にあるが、この習慣は明治以後だと教えてくれた。

 「そればかりか、亡くなっても葬儀をしない人もいる。通夜だけやって告別式は行わないケースが増えている。採骨したって置く場所がないのだからと、身内は誰も火葬場へ行かない。だんだん、そうなってきている。考えてみて、ジジやババが死んでも息子や娘は親だから知っているが、孫になると記憶も薄くなる。墓なんか造っても誰も参りに来ない。生きているうちに、せいぜい子どものご機嫌をとっておくか、孫に金を使うことだ。それでも、この先どうなるか、分からんでね」。

 梅が咲き、甘い香りが春を呼ぶ。そんな悠長なことを言っていたら怒られてしまいそうだ。それでも、いやそれだからこそ、今を精一杯生きていきたい。村山由佳さんという女性作家の最新作『花酔ひ』に、「七つ下がりの雨と四十雀の恋はやまない」という言葉が出てくる。午後4時過ぎと四十雀(シジュウガラ)をかけているのだろうが、恋は年齢には関係ない、むしろ若い時よりも悲しい気がする。それとも恋も変わってきたのだろうか。そこで1首詠ってみる。

   「まだ咲かぬ 梅の香追ひて 春思ふ 寒さばかりが 身に染みる日々」

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春はまだ遠い

2012年03月06日 19時16分02秒 | Weblog

 雨が上がるとビックリするほどの生暖かさに包まれた。春の空気である。土の香なのか草木の匂いなのか、冬にはなかった匂いが漂っている。行き交う人が「暖かくなりましたね」と言う。見上げると桜の枝先も心なしか膨らんでいるような気がする。「いや、まだ春は先だよ」と先輩が言う。「もう1か2回、寒さが来る。寒の戻りというやつだ。春はそれからだから、やはり今年の桜は遅いと思う」。そうなのか、春になれば何もかもよくなると思うから、ついもう春になったと喜んだけれど、もう少し待たなくてはならないようだ。

 直径が50センチはある大きな鉢の水仙はまだ咲かない。葉はよく茂っているのに花の茎が見えない。その鉢の傍を毛虫が1匹、蠢いている。体長は4センチくらい、全体は黒いが背の真ん中に赤い線が入っている。ヤマスミレの葉を食い尽くしてくれる毛虫だが、殺す気にはなれなかった。先の先輩の話では、気温が15度を超えると虫の活動が活発になるという。確かに、昨日から今日にかけて気温は15度を超えたのではないだろうか。すると毛虫はいつ孵化したのだろう。この毛虫も蛾になるためにはサナギになるはずだが、それはいつどこで行うのだろう。

 私は先輩が「1日に10人の人と話し、100ページ本を読み、1千字の文字を書き、1万歩を歩く」ことを日課としていると聞き、それなら1日に1千字を書くことなら自分にもできると思いブログを始めた。中学からの友だちもブログをやっていると言うので、お互いに続ける約束をした。彼は生真面目な性格なのか、1日も欠かしたことがないが、私は旅行や飲み会などがあれば休んでいる。友だちのブログを読むと、おおらかな人物と思っていたけれど意外に神経質な面もあることに気付いた。彼は私のことをどう見ているのだろう。自分の姿は自分ではよく分からない。毛虫もまさか自分が空を飛ぶようになるとは思っても見ないだろうが、虫も先が読めたら面白いだろう。

 1日に1千字のつもりが、パソコンが変わってから2千字になってしまった。2千字はちょっと多い気がする。自分が新聞を作っていた時は、1つのコラムは600字としていた。気安く一気に読める文字数は、600から800字くらいが適している。書く人は「原稿用紙で1枚半です」と聞くと、そのくらいならと思うようだ。しかし、実際に書き始めると「この文字数では足らない」と言う。そこで添削するので、簡潔な読みやすい文章になる。1千字ならば、余計なことも書けるので書きやすい文字数だろうと思う。ところが今、倍の2千字になっているのは、簡潔な文章を書く力が落ちた結果だ。

 長い文章のよい点はヘンなコメントが来なくなったことだ。流し読みしていく人が減ったのだろう。誰でもコメントを寄せてくださっても構わないのに、近頃はコメントを寄せてくれる人がいない。これもちょっと寂しいものだけれど、こんなにも長い文章を読むのは骨が折れるのかも知れない。それでも最近、閲覧者数が1千を越えたり、訪問者数が3百を超えたりすることがある。いったい誰が読んでくれているのだろうと不思議に思う反面で、これは止められないなと気持ちを引き締めている。

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スターリンの命日に、プーチンが大統領に

2012年03月05日 18時58分38秒 | Weblog

 窓越しに、芽が伸びてきたチューリップを見ていた。すると、軒下に細かく動くものがいる。2匹の虫で、片方が少し大きい。体長はどのくらいだろう、1センチか2センチくらいだろうか。どちらかに合わせているのか、同じ形で飛んでいた。それはまるで空中ダンスのようで、右へ行けば右へ、上に行けば上へ、アイスダンスのペアのように息が合っていた。けれども、そうかと思うと急に方向転換し、急速に上昇したり下降したりと目まぐるしい飛び方をするが、決してぶつかったりしないし、離れてしまうことはない。「オスとメスだな」と思った。

 地球上に生物が生まれ、オスとメスが交配して新しい命をつくる。その営みによって延々と種をつないできた。神様は凄いなと思う。神様ではなく自然の仕組みであったとしても、全く偶然にそうした仕組みが誕生したとしても、それは凄いことだ。生物は愛し合わなくても子孫を残す。基準になるのは「強い」ということだろう。優しいとか美しいとかは選択の基準にならない。人間だけが、基準を変えた。人間は愛し合うことを手に入れたが、そのために動物が持たなくてもすんだ苦悩を持つことになった。人間が考える能力や感情を持たなければ、苦痛や苦労はなかったであろうに。

 ロシアでプーチン氏が大統領に当選したという。広場で、当選したプーチン氏は涙を流して「我々は勝利した」と叫んでいたが、なぜか周りは歓喜に包まれていなかった。本人はとても感激した様子だったけれど、周りはなんとなくしらけているように見えた。プーチン氏はロシアを資本主義化したエリツィン氏によって後継者に命じられ、2000年から8年間大統領を務め、その後はメドヴェージェフ氏を大統領におき、自分は首相となって権勢を保ってきた。これでロシアは次の大統領選挙が行われるまで、プーチン政権が続くわけだから30年間に及ぶプーチン時代となる。スターリンは1922年から亡くなるまで共産党書記長の座にあったが、プーチン氏も同様な政治家になるのだろう。

 プーチン氏はスターリンが育てた秘密警察である国家保安委員会(KGB)の出身である。KGBは時の権力者に刃向かう者は容赦なく抹殺することを任務としている。共産主義が正しいとか、そんなことは考えたこともないだろう。彼は1985年から5年間、KGBとして東ドイツにいた。つまり、東ドイツの崩壊を見ていたはずだ。ソ連が資本主義化へと進むと、KGBの組織と情報を屈指して、新政権の中枢へと入り込み、今やスターリンに次ぐ長期政権を確保しようとしている。ちなみに今日、3月5日はスターリンが死亡した日で、この日にプーチン氏が大統領に当選するのも歴史の皮肉かも知れない。

 人は愛し合ったり憎み合ったり、そうかと思えば絶大な権力を欲しがったり、得体の知れない不思議な生き物だ。お昼のテレビ『笑っていいとも』に芥川賞作家の西村賢太氏が出ていた。彼は「一番楽しいのは何?」と聞かれて、「女を抱くこと」と答え、結婚する気はない、金は全て自分のために使う、独身が一番と話していた。ところで、スターリンの死亡が報道されると株価はいっせいに下落したそうだ。動物のように生きることも、そうでない生き方も、分からないのがこの世のようだ。

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やればできる!?

2012年03月04日 18時16分59秒 | Weblog

 本当にヒマ人になってしまった。外は雨が降っている。別にこれという予定が無い。NHKテレビで『のど自慢』を見ようと思ったら、「琵琶湖毎日マラソン」に代わっていた。そんなに真剣に見るつもりはなかったので、小説を読みながらテレビを、結局最後まで見てしまった。3時にコーヒーを飲んでいるとカミさんが葬儀から帰ってきて、女子ゴルフを見出した。興味が無かったのに、この番組も終わるまで見てしまった。見終わってから、これはどうみてもヒマ人のやることだなと自分で笑ってしまった。

 

 それでもブログに何か書かなくてはならない。これはもう、「琵琶湖毎日マラソン」と「沖縄女子ゴルフ」の感想しかない。マラソンの方は小雨が降っていた。この大会はロンドンオリンピックの選考会を兼ねているという。初めはペースメーカーに引っ張られて順調な走りだった。ペースメーカーは25キロまでと解説者が話していたけれど、このまま優勝してはいけないのだろうか、そういう例は無いのだろうか。

 

 20キロ過ぎ辺りから、一番張り切って走っていたペースメーカーが先頭から抜けた。そして解説者の言うとおり、25キロで残っていたペースメーカーも脱落した。脱落したと言うよりも先頭集団から前に飛び出す選手が現れた。それまでは集団で順調に走っていたけれど、それが一気に崩れ、熾烈な争いになっていった。それでも、日本人のオリンピック候補と前評判の高い堀端選手はそのトップ集団にいた。優勝はできなくても日本人選手で1番になればロンドンに行くことができる。

 

 堀端選手はトップの外国人選手を追って、ヒタヒタと走っていた。このままでは優勝はできないが日本人選手の1番にはなるだろう。そう思って見ていたら、どの辺りからか覚えが無いが、日本人選手が凄い勢いで追いついてきて、一気に抜き去って行った。堀端選手は追いついて来ていることに気付いていなかったのか、平行して走ることも出来なかった。抜き去った中本選手は優勝は無理でも日本人選手のトップであることは揺るがないと思っていただろう。ところが、後方から一般参加の選手がジリジリと追いかけて来た。

 

 もうゴールは目の前にあったのに、後ろから来た一般参加の山本選手に中本選手は追い越されてしまった。解説者が「最後は気持ちですね」と言っていたけれど、ロンドンに行きたいという気持ちが山本選手が勝っていたということなのか。女子ゴルフも最後にもつれてプレイオフとなり、初出場の選手が勝った。勝ちたいという気持ちが強かったということなのだろうけれど、ゴルフはマラソンと違って、頑張ればいいというわけにはいかないようだ。絶妙のタッチでどうボールをコントロールするか、心の持ち方が左右するように見えた。

 

 マラソンは東京大会では無職の選手が、この大会では一般参加の選手が、日本人選手のトップになった。「やればできる」という、高校2年の孫娘の好きな言葉が現実味を増した。努力することの苦手な私は、何をやればできるようになるのだろう。

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今日はひな祭り

2012年03月03日 17時51分47秒 | Weblog

 今日はひな祭り。「あかりをつけましょ ぼんぼりに」とひな祭りの歌が聞こえてくる。ゆったりとしたテンポで、いかにも女の子の祭らしく、優雅な雰囲気がある。正確に知らなかったけれど、この歌の題は『うれしいひなまつり』で、作詞はサトウハチローだという。小さい時から聞いていたような気がしたので、いつできたのだろうと調べたら、昭和10年に作られたものだった。

 

 それにしてもこの歌のために、みんなが誤解をしていると思う。雛人形の中心にいる男雛と女雛を「おだいりさまと おひなさま」と歌っているが、内裏は宮中の御殿のことだから間違っている。それはさて置き、私にはその先の、「お嫁にいらした 姉さまに よく似た官女の 白い顔」が妙に残っている。それに女官たちの袖口から伸びた白い手を大人っぽいと感じていた。

 

 カミさんは長女のところからひな祭りの誘いを待っていた。「土曜日だからといっても、仕事かも知れないし、向こうにも都合があるんだから、お祝いのケーキかお菓子を届けておけばいいじゃーないか」と私は言うが、聞く耳はないらしい。長女のダンナの家でも、忙しい長女のことを気にして、どこまで手を出したらよいのかと迷ってみえるだろう。人の気持ちは行き違うことが多く、そのためにトラブルになってしまうこともある。

 

 今朝の朝日新聞『悩みのるつぼ』で、60歳の主婦が上野千鶴子さんに「もし、上野さんが絶世の美女に生まれついたとしたら、現在のように、社会の底辺にまで目をやる社会学の道を進んでいたでしょうか?」と質問している。しかも女性は自分を若い時は「きれい」といわれる部類に入っていたと前置きしている。なんとまあ、非常識な女性かと思うけれど、本人はきっと「きれいと言われて勉強せずに来てしまった」ことに悩んでいるのだ。

 

 自分はきれいと言われてきたので勉強できなかったが、上野さんが学者になれたのはブスだったからなのでしょうと念を押していることに、この女性は気が付かない。「あなたはきれいだったから、学者になれなかったけれど、今、読書に惹かれているなら、遅くありませんよ」という答えが欲しかったのだろう。上野さんは腹を立てることも無く、「容貌は容貌、幸福は幸福、知識欲はそれとはまた別。そのあいだに何の相関もない、っていうことぐらい、本を読めばわかりますよ」と答えていた。

 

 多分、質問した女性は回答が分からないだろう。上野さんもそれを見越して答えている。自分が言っていることがどんなに失礼なのか、分からない人はいる。純真な心の持ち主だけれど、鈍いのだ。先日の朝、「お世話になったから、お昼に美味しいものをご馳走する」と電話がかかってきた。彼女の悩みを聞いてあげただけのことであったが、その後、どうなったのか、ちょっと気になったので、彼女が指定するお店に一緒に行った。

 

 「ご馳走する」というのだから当然彼女がメニューを決めると思っていたら、「どれにしますか?」と聞くので、早く食べられる1千円のランチを頼んだ。以前、抱えていた問題である貸した金は返ってきたと言う。「それはよかったね」と言うと、自分はお金には困っていないこと、1億2千万円のお金を受け取ることができるなどと誇らしげではなく、淡々と話し続ける。それだけで私の方はお腹いっぱいになってしまった。

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