友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

死後の手続き

2019年02月17日 17時45分12秒 | Weblog

  最近の週刊誌は「死後の手続き」を特集したものが多い。『週刊現代』や『週刊ポスト』が競ってそんな特集を組んでいたが、『週刊文春』や『週刊朝日』までも続いている。以前は、医療や薬品の特集が多かったし、健康に関するものが人気だった。私は健康や医療には興味がないが、書店で「身内が亡くなったときの手続き」と書かれた『クロワッサン』(2016年11月発行)を見た時は、すぐに買い求めた。

 購読者層に高齢者が多い週刊誌の売り上げは落ちているそうで、高齢者の関心が高い「健康」や「医療」、「年金」や貯蓄」、そしてとうとう「死後の手続き」へと移ってきたのだ。発売日の翌日にコンビニへ行ってみたが、既に並んでいなかった。書店でも「すぐに売り切れてしまう」という。先日、喫茶店で高齢の人が、週刊誌を見ながら熱心にメモを取っている姿を見かけた。夫が亡くなって、あるいは両親が死んで、「その手続きで苦労した」話をよく聞く。

 父親が亡くなって、兄と妹のふたりきりの子どもが遺産でもめている話も聞く。病気の父親の面倒を看て来た妹は遺産の多くを要求するし、兄は面倒をかけた妹に遺産を全て渡しても良いと思っている。ならば円満に遺産相続できるように思うが、いざ、となると欲が出てくるのが人間である。仲良しだった兄妹が不仲になってしまうケースもある。兄に妻がいて、妹に夫がいると、さらに複雑になってしまう場合もある。

 旧約聖書によれば、人類の最初の殺人は、アダムとイブのふたりの息子の間に起きた。兄のカインは土を耕し、弟のアベルは羊を飼った。神への感謝にカインは農作物を、アベルは羊の初子を捧げた。神はなぜか、アベルの羊に目をとめたのに、カインの農作物は無視した。強い怒りと嫉妬にかられたカインはアベルを殺してしまう。人間の愚かさを呪いたくなる。けれどもなぜ神はカインの供物を無視したのだろう。

 人と人だけなら仲良くやっていけたのに、神の存在が妬みや憎悪を生むのはなぜなのか。年寄りが命を終わるのは必然なこと。そのことで身内が争うことのないように、やっぱり「死後の手続き」を読んでおく必要があるのだろうか。

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人間観察

2019年02月16日 18時05分19秒 | Weblog

 電車に乗ると、昔は文庫本を読むのが常だったが、今は人間観察を楽しんでいる。若い人はもちろん年寄りも、ほぼ全員がスマホを操作している。ゲームをしているのか、通信をしているのか、私には分からないが、指が素早く動いている。周りの人を気にする様子はないので、私はひとり一人をじっくり観察できる。

 見ていて、若い人の指は誰もが細くて長いことに気が付いた。そして指が異常に白い。男も女も、手が白くてきれいだ。指だけを見ていると女性かと思うような男性もいる。手がとても白くてきれいなので、顔も色白なのかと思うと、ちょっと違ったりする。私たちの若い頃も、こんなにみんなきれいな手をしていたのだろうか。

 日本人は平均的に、色白になっている気がする。それにしても若い人で、文庫本など読んでいる人はいない。本を読んでいるのは中年以上で、スマホを操作していない人はイヤホーンで何かを聞き入っている。友だち同士でない限り、昔も今も乗客は孤独だけど、何か昔とは違う気がする。電車の中で恋が芽生えることはもう、無いのだろうか。

 コンビニの女性店員がニコニコと接してくれたのを勘違いして、セクハラ行為を働いた男がいたが、今日も書店で本を買った時、私が持っていた別の書類を見て、若い女性店員が「そちらもご一緒に入れましょうか」と笑顔で言った。それだけのことなのに、何故か優しい人だと思い嬉しくなった。こんな年寄りでも男性とみてくれていると勝手に勘違いしてしまったが、「お気をつけて」と言われて、年寄りへの配慮なのだと気が付いた。

 街をスタスタと歩く若者に比べ、年寄りは歩き方が遅い。自分では背筋を伸ばして歩いているつもりだが、ひょっとすると背中が丸くなっているのかも知れない。歳を取らない秘訣は恋をすることだという。そういえば友だちの中でもいつも女性にアタックしている男は元気がいい。先日の宴会に来なかったから、次回はきっと恋の話で盛り上がることだろう。

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バレンタインディナー

2019年02月15日 17時10分33秒 | Weblog

  

  「チェコ、たくさんもらいましたか?」と昨日、診察の時にかかりつけの医師に声をかけた。いつも私に「運動してくださいね」と声をかけてくるから、そのお返しである。するとまだ、40代であろう医師は、「1つもないですよ」と苦笑する。看護師さんも受付さんもみんな女性なのに。そこで診察券を返してもらった時、受付嬢に「先生、バレンタインなのにチェコ1つもないんだって」と話すと、「えっー」と彼女は笑い出した。

 カミさんにそのことを話すと、「そんなことを言う人はあなたしかいません」と叱られてしまった。若くハンサムな医師でもチェコがもらえないのに、私はカミさんの友だちと4歳の孫娘から、「心のこもったチェコ」をもらった。そこで昨夜は、仙台の次女から送られてきた山形産のスパークワインのロゼを飲み、ワインに合う料理という、鶏肉のトマト煮とサーモンのバター焼きとアボガドの生ハム巻きをいただき、最後にデザートのチェコを食べた。

 今日の午後、市議なった友だちがやって来た。これからひとり暮らしの高齢者が増えるだろうから、行政としてどういうシステムが必要かという話から、次の選挙で市長が変わり市議の多くが入れ替わり、市政の担当者が様変わりするだろう話になった。「民間ならトップが退職すれば、その影響力は途絶えるのに、行政は国会議員、県会議員そして市議とつながる体制が維持されていく不思議なシステムですね」と彼は言う。

 権限が集中し、利権に群がるピラミッド体制が日本の政治を動かしてきた。そこにメスを入れるのは並大抵ではできない。街づくり、国づくりの前に、私欲が幅を利かせている。群がるハイエナのようにおこぼれにありつこうとする。なぜ「理想」がないがしろにされ、損得だけが先行してしまうのだろうか。それは「人間の本性」と言い切ってしまう人もいるが、逆に、人間ならばこそ「理想」をもっと大事にすべきではないかと思う。

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愛はどこにあるのか

2019年02月14日 17時29分25秒 | Weblog

  愛はどこにあるのか。見返りを求めない「無償の愛」でなくてもいい。私利私欲の自己中心的な愛のどこが悪いのか。人間はいつも、何かを求め続けている。求めなければ生きてはいけない存在なのだ。「愛に渇望している」。それが人間なのだと思う。

 水泳の池江璃花子選手が白血病と診断され、波紋を呼んでいる。まだ、18歳の若さなのに、新聞に掲載された池江選手のツイッターを読むと、彼女の前向きな決意が伝わってくる。高校生なのにずいぶんしっかりした文章だと感心した。

 それに比べ、桜田五輪大臣はおそまつだ。正直な気持ちであることは分かるが、大臣が街のおじさんと同じレベルかと、「がっかり」してしまう。それを捕まえて、辞任を迫る野党議員の質問にも「がっかり」した。国政を審議する国会の場で、揚げ足取りではレベルが低い。

 安倍首相が自民党の集会で、「悪夢のような民主党政権時代」と発言したことを捉えて、野党議員が「発言の撤回」を迫るのもおかしい。安倍首相が「撤回しません。表現の自由です」と答えていたがその通りだろう。ますます安倍首相は「信念の人」になってきた。祖父の岸さんがやり遂げられなかった改憲にまっしぐらである。

 池江選手の文章の中に、「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉がある。先輩もよく使う言葉で、確か聖書にあった気がする。初期キリスト教の基礎を築いたパウロがコリントの信徒仲間に送った手紙にそのような文章がある。現実と信仰との間で揺れる仲間を励ますための手紙である。

 池江選手がキリスト教を信じているかは定かではないが、「耐えて頑張れば報われる」と思わなければ、病気には勝てないだろう。自分で治すという不思議な力を、人間は身体の中に持っている。求め続けることが力になるのだ。

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高校新聞部の仲間の葬儀の後

2019年02月13日 17時34分35秒 | Weblog

 高校の時の新聞部の仲間に、「できたら本葬に参加して」と連絡しておいた。最近は、通夜には多くの人が参列するのに、本葬になると少ない傾向がある。現職ではないから、参列者が少ないことは予想された通りだった。新聞部の仲間は5人来てくれたから、亡くなった友だちを加えれば6人で、いつもこのメンバーで行動していた。

 そうは言っても、決して群れていた訳ではない。ひとり一人かなり個性が強かったし、考え方も違っていた気がする。最も過激だったのは、声がでっかくて身体の小さい男で、亡くなった男は中庸を守っていたというより、学校から目を付けられるようなことは避けていた。一家の長男だったが一番下で、親に迷惑をかけられないと思っていたのだろう。

 新聞部のマドンナに、「初恋の人の棺に花を添えてあげたら」と私が言うと、「初恋の人じゃーないわよ」と言う。「あなたの初恋の人ではないかも知れないけど、彼はあなたが好きだったよ。ボクは彼からあなたが『好きだから、間を取り持って』と言われ、ボクも好きだったけど、男の友情として身を引いた」と話した。実際、その後、ふたりは交際していた。

 葬儀が終わって、近くの店で5人で食事をした時、マドンナから後日談を聞いた。亡くなった友だちから交際をやめると手紙が来たと言う。そればかりか、その後、ふたりの同級生の女性と付き合っていたようだ。マドンナが駅の待合室でバスを待っていた時、彼と彼女が電車から降りてきて、彼女の家へ歩いて行った。そしてしばらくすると、彼はひとりで駅まで戻ってきたが、待合室のマドンナに目を向けることもなかったと言う。

 けれど、彼が結婚したのは全く別の女性だった。ニヒルでちょっとシャイで、格好つけていたけれど、真面目な性格だったが、意外に恋は多かったのか。そんな友だちの話で盛り上がった。3度も結婚している仲間は、「オレはカミさんから『優しい過ぎる』と言われてフラれた」と告白する。マドンナが、「そうよ、優しいだけではダメよ」と断言する。それでいて、仲間が高校時代好きだった女性の電話番号を教え、「病気だから、元気づけてあげて」と言う。

 「ひとり亡くなったから、これで新聞部の集まりは終わりにしよう」と私が提案するが、「やれるうちはやろう」と否決された。いつまで続くかな?

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この春から大学生になる男子と話す

2019年02月12日 17時39分03秒 | Weblog

  昨日の夕方、この春から大学生になる男の子がやって来た。私が、「あげたい本がある」と言ったので、本を受け取るために来たのだが、それだけではなさそうだった。彼は中学生になって、登校できなくなっていたが、高校は彼のような子を受け入れてくれる学校に通い、大学も見事に合格した。姜尚中さんを私たちの市民講座の講師に招いた時、私は彼を姜さんに逢わせた。

 姜さんは講演の中でも、「やり直しは何時でもできる」と話してくれた。また、プレゼントした姜さんの若い人向けの著書のおかげで「考え方が変わった」と言い、「春休み中にもっと本を読もうと思って」と、我が家の書棚を見回した。姜さんが取り上げる夏目漱石の本は私の書棚にはない。私は漱石よりもドストエフスキーやジイドが好きだったので、その理由を彼に説明した。また、「学校は評価を数字で表すが、それはその時の学校の評価で、絶対なものではないよ」とも話した。

 話していて、高校生の頃を思い出した。高校は地域の進学校で、父も兄も卒業した母校でもある。試験の結果を上位70人だったか80人だったか、一覧表にして張り出したが、成績の悪い私の名前は無い。そんな学校の方針に反発していたので、一覧表を見ようともしなかった。いや、見るのが怖かった。新聞部で新聞を作ることが唯一の楽しみだった。黒板に記事を書き出し、行数を示し、担当を決める。

 みんなが書いてきた原稿に目を通し、割り付けを行い、印刷してもらっていた名古屋タイムズ社へ出かけて、担当の人に渡す。1年生で初めて原稿を持って行った時、「これではダメだ。新聞になっていない」と叱られ、新聞の割り付けの基本を教えてもらった。母校の新聞は1段が90行の15段タブロイド判2ページだった。1行の文字数は15字、原稿用紙は1枚が10行、1つの記事は5枚から7枚だから750字から1050字で、もちろん論説や中日春秋のような囲みもあった。

 明日は、その時の仲間の葬儀に参列する。一瞬かも知れないが、高校時代の雰囲気を味わうことになるだろう。たとえ、74歳のジジババであっても。

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友だちがまた逝った

2019年02月11日 17時48分59秒 | Weblog

  高校の新聞部の仲間が亡くなった。昨夜、ケイタイから電話があったが、鳴った途端に切れてしまった。カミさんは、「こちらからかけてはダメ」と言うが、なんとなく知らせるものがあったのか、かかってきた番号にかけ直した。声が沈んでいた。「主人が今日、亡くなりました」と言う。昨年の新聞部の集まり時のこと、「あんなに嬉しそうな主人の顔を見たことがなかったので」と話す。

 思い出したら私は泣けて声にならなかった。昨年の開催は私の企画だった。彼は脳卒中の影響で半身不随の上、言葉も話せない。会社の合併問題の時、労組の責任者だったからかなり苦労したのだろう。労組のトップになるような男ではないと思っていたが、責任感が強くその無理からか、突然倒れてしまった。不自由な身体でも、新聞部の集まりには参加してくれていたが、カミさんの介護が必要だった。

 彼とは高1の時に同じクラスだった。私は入学してすぐ新聞部に入ったが、1年生は他に男が2人と女が2人しかいなかった。しかも男のひとりはカメラしかしないと言う。女のふたりも新聞作りが好きという雰囲気ではなかった。2年生の先輩が「これからは君らがやれ」と言う。どうしても書き手が要る。私のクラスに声はでっかいが身体は小さい、けれどなかなか論客な男がいた。その前の席にニヒルな匂いがする男がいた。

 2人に声をかけると、ふたりとも入部してくれた。声のでっかい男とは考え方が似ていたし、鼻筋の通ったニヒル感のある男とは、どこか分からないが共通するものがあった。彼が好きになった女を私も好きだったから、譲ることが友情の証だった。彼は東京で大学生活を送り、私が上京した時は彼のアパートに泊めててもらった。新聞部の男の中では極めて現実的な考え方で、学校批判のような文章は書かず、映画評とかの軽いものを担当した。

 体育大会の当日、彼は「身体の具合が悪いから、代わりに走ってくれ」と言う。「いいよ」と引き受けたが種目は400メートル走で、200を過ぎたら足が上がらなかった。彼を見ると、別に具合が悪い様子はなかったから、優しいダンディに騙されたと知り、笑ってしまった。ニヤリと彼も笑った。

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満身創痍の老夫婦

2019年02月10日 17時50分25秒 | Weblog

  私より10歳くらい年上の友だちが、「ウナギが食いたいから連れ出してくれ」と言う。何のことなのかよく分からなかったが、電話を聞いていると、脳梗塞で倒れて入院しているが、付き添いがあれば外出できるから迎えに来て欲しいということだった。ところが、私が病院に行くと、「病室から居なくなった」と看護師が慌てている。

 せっかちな彼は私が着くのが待ちきれず、病室を出て「1階で待っていた」と言う。外出するには付き添いの私が届けを出さなくてはいけないから、病室で待っていてくれた方がよかったのだ。とにかく届を書いて、彼を車に乗せ、行きたいという和食の店へ出かけた。日曜日のせいか、随分混んでいた。ほとんどが家族連れだ。

 話を聞けば、彼のカミさんも倒れて施設に入所している。彼は雪の日の事故で、歩くことが不自由になっていたのに、カミさんが家事が出来なくなり、全ての負担が彼にかかり、その無理から脳梗塞になったと言う。彼の方は容体が安定しているから、今月中には退院することになるらしい。そこで、「カミさんも家に戻そうと思うが、どうしたらよいかと考えている」と言う。

 軽率に答えは出せないが、やっぱり家族で結論を出す他ない。長男は一緒に暮らしているが、結婚していない。次男は結婚し、子どもは23歳と20歳になっている。長男は会社の重役で、朝早くから夜遅くまで働いていて、「ゴミひとつ出せない」とボヤく。「家を見てくれ」と言うので、家に上がらせてもらったが、玄関にいるイヌは水も食事も満足に与えられていない様子で、室内は確かに整理されていなかった。

 ここに身体の不自由な老夫婦が戻って来て、果たして生活できるだろうかと疑問だ。長男と次男夫婦でまず今後のことを話し合うことが先決だろう。第3社の私が話し合いに加わった方がよいのであれば、「いつでも連絡して」と言って別れた。他人に話すことで、彼自身は元気になったが、さてどうするかな。

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外国を旅行する

2019年02月08日 18時20分11秒 | Weblog

  中日新聞に折り込まれた地域新聞を見ていたら、知り合いの親子の写真が載っていた。春休みを利用して5日間、グァムで語学研修をする記事だった。5日間でどれほどの成果を上げられるかと言う人もいるが、子どものうちに他の国へ行くことは貴重な体験だと思う。この子たちは、外国を知らずに外国の悪口を言う、恥知らずにはならないだろう。

 明日は市の国際交流協会が主催する「アジア太平洋フェスティバル」の手伝いに出かける。インドヨガの体験や、北インド舞踊とインド楽器の演奏などが行われる。インド人は基本的にはアーリア人系だから、白人に共通する目鼻立ちである。インドで仏教は生まれたものの、圧倒的にヒンズー教徒が多いと聞く。

 教員になって間もない時、大学の先輩が「一緒にインドへ行かないか」と誘ってくれた。先輩は現代美術の世界では有名人で、ニューヨークでも展覧会を開いたほどの実力者である。名もない私に声をかけてくださっただけでも光栄だった。にも拘わらず、高教組で一緒に活動していた仲間の許可が得られず断念してしまった。

 組合の仲間のことなど無視して、一緒にインドへ出かけていたら、私の人生も大きく変わっていただろう。もし、あの時、インドではなく中国へ行こうということなら、もっと強く行きたいと思っただろう。インドも歴史のある神秘的な国ではあるが、残念ながら中国ほどはよく知らない。中国のことは物語や言葉の意味やあるいは生活習慣の中で知ることも多い。行ってみたい、観てみたい、その気持ちは強くあった。

 私が初めての海外旅行はイタリアで、ヴェニスとフィレンツェを見て回ったが、その時の感激は今も忘れられない。イタリアに魅せられて、子どもの絵の交換でも出かけて行った。この時は農家で昼食をいただいたが、その家のおじいさんがカンツォーネを朗々と歌ってくれ、「人生を楽しむために働く。働いて楽しむのではない」と教えてもらった。

 明日の夜は、「夏祭りの慰労会と新年会」。ブログは休みます。

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「どうにかなりませんか」

2019年02月07日 18時23分26秒 | Weblog

  人間は弱い。弱いと自覚している時はきっと、周囲に気配りも出来ていた。ひとりでは生きられないから群れて暮らしてきた。群れているためには、勝手な行動は出来ないし、周りに気を配らなくてはならなかった。けれど、だんだん強い存在になってきて、いつしか気配りは薄くなった。

 しかし、人間の社会には上下がある。命令する人間と命令される人間がいる。身分の高い人、社会的な地位の上の人、金持ちがいる。弱い立場の人がいるように、強い力を持っている人もいる。現代は、生きていくためのは気が抜けない、思いやりに欠けた不条理な社会だ。

 今日、喫茶店で2月23日に行う「同年の集い」の打ち合わせをした。出席者は33人、「参加すれば若返る」ことは無理でも、「みんなが元気になれるような会にしよう」と幹事5人で話し合った。せっかく参加しても、隣の人と話せなかったということのないように、一緒に歌ったり、触れ合い、笑い合える会にしたい。

 打ち合わせが終わって、雑談になった時、野田市の小4の女の子が虐待され亡くなった話や2歳の赤子が父親の虐待で死亡した話になり、「信じられない」と皆怒る。力の強い相手に挑む人はいない。ケンカも戦争も同じだ。相手が弱いから手を出す。暴力を振るう人は、弱い人に向かうとどんどんエスカレートしていく。

 野田市の父親も2歳の赤子を死亡させた父親も、相手がプロレスラーなら決して手を挙げたりしないだろう。「助けて」「やめて」と懇願する、声も出せない弱い相手だから、自分が「強い」と思ってしまう。夫を止められなかった母親は暴力から逃げた。子どもに暴力が向かうことを知りながら、自分よりも弱い者を利用して逃げた。

 高齢の両親が認知になったり障害があったりする。子どもは親のために、仕事を辞めて介護に専念すべきか、入所させるべきか、なかなか判断できない。相談する場所を知らない。家庭内の暴力、両親の介護、障害者の子どもの行く末、解決のことまで考えが回らない。人間は強い存在であるのに、個々の人間は脆く弱い。「どうにかなりませんか」と叫びたくなる。

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