友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

行政への不満を聞く

2021年09月20日 17時29分09秒 | Weblog

 昔からの知り合いから、「地方行政の興味を未だお持ちでしょうか、納税者として当役所に数十点程投書してきました、(略)一度見て欲しい」という手紙をもらった。かなり不満を感じているようだが、内容までは分からないので、今日の午後、喫茶店で話を聞いた。

 市内にある二次救命医療指定病院の対応に問題があるので、「いったん指定を解除し、財政が豊かになったら再契約を改めて願い、現代に沿うコンプライアンスに質して貰う方が、期待し過ぎずストレスが無いと思いますが如何でしょう」と提案した。

 しかし、市からは「当市においても重要な指定病院であると考えておりますので、何卒ご理解賜りますよう」という返事だった。救急車を呼ばずに病院へ行こうとしたことについては、「行動は善行であると思います。しかしながら、急いで病院に行った方が良いと思った時は、迷わず119番してください」とある。

 その病院については、救急車で行かないと診てもらえないとか、院内でたらいまわしにされたとか、不満を聞いたことはある。どこでもそうだが、担当者が親切な人かそうでない人かで、受ける印象は随分違う。私はもっぱら愚痴を聞くことに徹した。

 私より年上の彼は、ボランティアとしていろんなことに取り組んでいる。それだけに、市への思いも熱いものがある。行政はこういう人と上手に付き合い、「市民の力」を取り入れて欲しいと思う。私に出来ることは愚痴を聞き、市へ橋渡しするくらいだ。

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「動き出せば何かが変わる」

2021年09月19日 17時45分23秒 | Weblog

 「動き出せば何かが変わる。出来ないことより出来ることに目を向けてみる」。確かにその通りだ。何もせずにグダグダと、出来ない理由ばかりあげつらっても仕方ない。そう思いながら、それでも腰が上がらないのは年老いたからなのか。

 コロナ禍が続いていることも、元気が出ない原因の1つだ。何しろ家から一歩も出ないから、刺激が無い。ブログのネタが思い浮かばない。街に出れば、人に出会う。みんなマスクをしているから美人に見えてしまう。想像するだけでも楽しいのに、家に籠っていては何も見えない。

 理屈っぽい本は読んでいると眠くなるので、手軽に読めそうな本を何冊か読んだ。斎藤孝さんの『キリスト教 イスラーム 入門』、池上彰さんと佐藤優さんの『真説 日本左翼史』、小林哲夫さんの『平成・令和 学生たちの社会運動』、戸川幸夫さんの『ヒトはなぜ助平になったか』、どれも一気に読めて面白かった。

 斎藤さんはキリスト教とイスラームは同じユダヤ教から出発しているのに、広がった地域で異なって発展したと説く。池上さんと佐藤さんは、これからは「左翼の時代」が来ると見て、1945年から1960年までの歴史を解説する。次回が楽しみだ。

 学生運動は途絶えてしまったのかと思ったら、小林さんの本でスタイルは変わったが続いていると知る。しかも、サンデーモーニングで辛口な発言をしてきた法政大学の総長、学術会議の代表を務めた京都大学の学長、その両大学では学生たちの自由を抑圧してきたことも知った。

 人は動物の中でユニークな進化を遂げたが、それ故に喜びも苦しみも与えられた。これを素晴らしいと思うか、嫌だと思うか、どちらにしても受け入れるしかない。「動き出せば何かが変わる」。

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あくまでも市民に仕える人

2021年09月18日 17時15分28秒 | Weblog

 台風は過ぎ去ったようで、青い空が広がっている。風はまだ、強く吹いている。市議が手作りの「議会だより」を持って来てくれた。「天災は忘れた頃にやって来る」の見出しで、台風シーズンに備えて警戒することと、助け合いを強調していた。

 「笑われても早く逃げる、笑われても笑われても早めの移動はもう鉄則」と、ちょっと笑わせる。笑えないのは市の財政状況だ。将来負担比率は前年度の6倍近い。こんな街づくりを進めてきて、市の幹部や市議は責任を感じないのかと思う。

 公共事業の拡大も問題だが、人件費は隠されているようだ。正規の職員を減らし、臨時の職員を増やして、人件費を抑えているように操作している。事業の見直しと公共施設の統廃合を、「プロジェクトチーム」で検討するらしい。

 チームには誰が入るのか、公開で行われるのか、疑念が残る。公共施設は市民の財産である。どうするかは利用する市民との議論が重要で、市民の合意もないまま進められては「市民不在」でしかない。行政は市民のためにあるのに、全く逆転している。

 市議も「公共施設の統廃合は、地域の特性を重視し、地域住民との対話が重要」と述べている。どうか市民の側に立って、最後まで市民のために戦って欲しい。長く行政に携わっていると、「やってやっとる」と、恩着せがましい意識が行政や議員に働いてしまう。

 「公務員は全体の奉仕者である」と、今一度思い出して欲しい。無給で働くボランティアではないけれど、あくまでも市民に仕える人であって欲しい。

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どのような国にしていくのか、そのためにどうするのか、

2021年09月17日 17時10分56秒 | Weblog

 自民党の総裁選挙が告示され、4人が立候補した。岸田氏の出馬宣言、菅首相の不出馬表明、高市氏や河野氏の出馬など、随分と総裁選挙が話題になった。告示の今日、野田氏が加わり、男性2人、女性2人の立候補となり、まるで自民党が大きく様変わりした印象を与えてくれる。

 小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と総裁選挙に乗り出した時、自民党嫌いの女性が「自民党も大きく変わるわね」と喜んでいたことを思い出す。「自民党を強化するだけですよ」と私は思っていたが、口に出すことは無かった。

 政権政党が長期化するとウミがはびこるようになる。内部から刷新しようとすれば、いかにも革新のように見えてしまう。「ぶっ壊す」こともなく、圧倒的な支持を受けて、自民党政権は更に生き延びた。対抗するはずの野党はなす術もなかった。

 「マスコミが連日、自民党総裁選を報じるのはけしからん」と、立憲民主党の幹部が発言していた。今日の朝日新聞の『天声人語』は、「それは野党の低迷を映し出す鏡である。鏡に向かって叫んでも仕方ない」と切り捨てていた。

 全くだ。「国会で審議せよ」と負け犬みたいに言うだけでなく、対案を出せと言いたい。どのような国にしていくのか、そのためにどうするか、政策を示さなければ国民も応援しようがない。総裁選で話題作りをして、総選挙を有利に戦いたい自民党と対決するために、野党の存在をキチンと見せて欲しいものだ。

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「会いたい」と伝えてきた人に連絡する

2021年09月16日 17時05分11秒 | Weblog

 彼岸にはまだ早いのに、マンションの中庭の林でヒガンバナを見つけた。背が伸びているものの中に、既に咲いているものが何本かあった。ヒガンバナを見つけると、どうしてこんなに正確に、彼岸の頃に花を咲かせるのかと感心する。

 子どもの頃、母の実家の知多半島へ行った時、階段状の田んぼの畦道にヒガンバナが咲いていてとてもきれいだった。墓の周りにも咲いていた。祖母が「ネズミやモグラから守るためだ」と教えてくれた。「ヒガンバナの球根には毒があるからだ」と理由も聞いた。

 でも、「飢饉の時は食糧になった」とも言う。どんな食べ方をしていたのか気になったが、「この花は女郎花ともいう」と言ったので、そのことの方が気になった。私は女郎を見たことが無いが、花のイメージから妖艶さは想像できた。

 こんな詩を見たことがある。「人間はいつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ。花は一瞬に咲くのではない。大地から芽を出し葉をつくり 葉を繁らせ成長して つぼみをつくり 花を咲かせて実をつくっていく。花は一瞬にして咲くのではない。花は一筋に咲くのだ」。

 昨日から、右の肩と首筋がとても痛い。寝ていても、寝返りを打つと痛みで目が覚める。これが終わりの兆候ならば、やっておきたいことに取り掛からなくてはと思う。「会いたい」と伝えてきてくれた人に連絡してみる。

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天皇制が無くなることも時代の流れ

2021年09月15日 18時40分54秒 | Weblog

 一番上の孫が曾孫を連れて遊びに来てくれた。「家に居ても、ふたりだけで退屈だから」と、1カ月に1回やって来るが、本当はジジババのボケ防止のためではないだろうか。優しくて世話好きのところは、幼い時からジジババの許で暮らしてきたからだろう。

 ふたりを迎えに行ってエレベーターに乗ろうとした時、孫と同じ先生にピアノを習っていた子の母親と一緒になった。母親は私を孫の父親と一瞬思ったのか、アレッと戸惑った表情で孫と曾孫を見た。「曾孫が生まれたんですよ」と私が声をかけると、納得できた顔に変わった。

 「よかったですね。ウチはまだ誰も出て行かないんです」と言う。孫と同じ歳くらいの娘さんがふたりいたはずだから、ふたりとも嫁に行っていないということか。可愛い子だったから、いつでも嫁の貰い手はあると思う。母親としては気になるかも知れないが、見守るしかないだろう。

 眞子さまのお母さんの紀子様が誕生日の会見で、子どもたちの希望を叶えてやりたいと答えてみえた。母親としては当然のお考えだが、皇室の子に人権は無い。子どもの頃から、「何も望んではいけません。宮内庁の人の言うとおりにしなさい」と、教育しなければならなかったのだ。

 けれど、秋篠宮も紀子様も恋愛して結婚された。人権が認められない世界をご存知なかったのか、子どもたちを自由に育てられた。眞子さまも佳子さまも、押し付けられた結婚は望まないだろう。皇室の方々が、一般人になることを希望されるなら、天皇制が無くなることも時代の流れだろう。

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知識と教養、考える力が次の時代を生み出す

2021年09月14日 17時19分25秒 | Weblog

 NHKの大河ドラマ『青天を衝け』を見ていた時、「凄いなーこの人は」と漏らしてしまった。するとカミさんは、「志しの高い人だったからこうなれたんです」と言う。言外に「あなたと違って!」が含まれていそうな勢いだった。

 私は渋沢栄一がどんな人生を歩んだのかはよく知らなかった。大河ドラマのおかげで幕末の人々の生活を知ることも出来た。渋沢栄一は凄い人であっただろうが、日本の社会というか江戸時代の仕組みも凄いと私は言いたかった。

 江戸時代は「士農工商」と身分が定められていたと教わってきたが、武士は映画で描かれるような贅沢な暮らしはしていなかった。質素な生活こそ武士の暮らしだった。百姓はいざ合戦に備えた貴重な戦力だったし、社会の支えという認識は持っていただろう。

 そのためなのか、百姓にも剣術を教え、読み書きができるよう「塾」が開かれていた。そればかりか、優秀な人材を登用する大胆さもあった。どうも江戸末期は、ドラマでも描かれていたが、身分を超えて天下国家を論じていたようだ。

 外国人が驚いたように、国民の識字率はかなり高かった。だからこそ、明治時代に移り近代国家へと突き進むことも出来たと思う。明治は外様による天下取りだったのに、身分の低い者が政権の中枢を握る革命となった。知識と教養、考える力こそが次の社会を生み出していくのだろう。

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出会いは運命の人だったのか

2021年09月13日 17時43分06秒 | Weblog

 近頃よく夢を見る。目覚めた時、思い出そうとするが思い出せない。いつも同じような夢の気がするのに、それさえも確かではない。願っていても叶わない、そんな情けない夢だったような気がする。映画『遠い空の向こうに』のような、夢中になるものは無かった。

 亡くなったジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』を聴いたのは高校生の時だった。父や兄が通った地域の伝統校へ私も入学した。高校に対しては漠然とした憧れを抱いていた。中学校までは全く子ども扱いだったが、高校は人生や恋愛を語る場と勝手に決めていた。

 ところが進学校は、大学入試の話ばかりで、国語の文章の解釈にしても別の見方は否定された。数学は推理だと教えられたのに、実際は公式の暗記ばかりでウンザリだった。新聞部だけが高校へ通う目的になっていた。

 学校新聞の記事で校長から注意を受け、それならと自主出版の新聞を作って郊外で撒いた。学校が予備校になっていると批判する記事を大手新聞に投稿し掲載された。3年になると夏休みに補講が行われた。予備校化に反対してきた私は補講を拒否し、3泊4日の旅に出た。

 日本海が見たかったので若狭湾に出て、小学校の修学旅行で回った京都と奈良を自分の目で見た。宿は決めてなかった。法隆寺の門前に着いた時は暮れかかっていた。たまたま乗り合わせた電車で、若い女性と話すことが出来て、宿を教えてもらった。

 室生寺を眺めていると、女子高生が「ひとりで来ているの?」と声をかけてくれた。もっと話していたかったのに、彼女は友だちに呼ばれて行ってしまった。法隆寺の若い女性、室生寺の女子高生、私の運命の人だったのかも知れないのに、住所を聞くことも出来なかった。

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アメリカ映画『遠い空の向こうに』を観る

2021年09月12日 17時24分04秒 | Weblog

 昼前、カミさんから、「これからみんなとランチに行くから、ひとりで食べてね」と電話が入る。いつもなら昼食の後は昼寝をしてしまうのに、ひとりなのだからゆっくりテレビでも見ようと思った。そしてアメリカ映画『遠い空の向こうに』を、途中からだったが見入ってしまった。

 アメリカ映画と言えば、西部劇のような活劇が多いのに、華やかさのない青春映画だった。画面は暗いし地味で、田舎の炭鉱街が舞台だった。4人の高校生がロケットに興味を抱き、自分たちで制作して打ち上げることに夢中になっていた。

 高校で出会った女性教師だけが彼らの味方だった。先生は「人と違ってもいい。自分の好きなことに挑戦しなさい」と言ってくれ、科学コンテストがあることを教えてくれる。校長は反対で、「叶わない夢を抱かせるべきではない」と言う。

 炭鉱の街で生まれた者は、炭鉱で働くことが当然だった。炭鉱夫になりたくなければ、スポーツ選手で身を立てる他に道が無かった。高校生の父親も子どもに炭鉱で働くことを望んでいたから、親子ケンカが絶えなかった。けれど、これはアメリカ映画だから最後は全国大会で優勝し、奨学金をもらって大学に進学できた。

 最後にロケットを打ち上げる時、「これはみなさんのおかげだ」と感謝する。そして泣けたのは、「(ロケットの)ブラウン博士は偉大だが、僕のヒーローではない。僕はお父さんのような人になりたい」と父親に告白する場面だ。

 炭鉱の街は貧しかったが、それでも皆一戸建ちの家に住み、車を持っている。けれど、炭鉱で災害が起きても会社は全額保証しないし、利益が上がらなければ閉山してしまう。時代はズレるが、トランプさんを支持した白人労働者はこういう人たちだったのだろう。

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9・11から20年、何が変わったのだろう

2021年09月11日 17時35分22秒 | Weblog

 ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだ映像には驚愕したが、あれから20年も経ってしまった。イスラム過激派を壊滅させるため、多くの兵士がイラク・アフガニスタンへ送り込まれたが、アメリカ軍は8月末でアフガニスタンから撤退した。

 帰還した兵士が「何のための戦いだったのか」と嘆いている。帰国した兵士の中には自殺してしまう人がいた。未だに戦闘に悩まされている人もいる。攻撃された方はもっと悲惨だろう。イスラム教では、攻撃しない者と闘うことは無いという。

 十字軍の遠征から、ズーと中東地域は攻撃を受けてきた。自爆テロや旅客機の乗っ取りもイスラム教の人々にとっては抵抗の証なのだ。十字軍の時は、欧州人の生活必需品である香料を確保するため、イラク侵攻は石油を狙った攻撃だった。

 遠征には略奪が伴う。被害を受けた者たちの苦しみは憎悪となる。困っている人を助けるイスラム教の教えは怒りとなってしまった。アジア人には「復讐の血」は流れていないのだろうか。日本軍に残虐な行為をされた中国人、アメリカ軍に枯れ葉剤をまかれたベトナム人、原爆を2度も落とされた日本人はどうして復讐しないのだろう。

 攻撃しなければ復讐も生まれない。略奪しなければ憎悪も生まれない。武器を持たなければ殺戮も起きない。みんなが歌を歌えば仲間になれる。みんなで踊れば愛も育つ。そうなって欲しいと思う。

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