風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

土俵際

2011-02-07 00:27:20 | スポーツ・芸能好き
 日本相撲協会は、臨時理事会を開いて春場所開催を断念することを正式決定しました。小・中学生の頃、大阪府立体育会館に通って春場所をよく観戦した私としては、正直なところ一抹の寂しさを覚えます。産経新聞によると、江戸時代こそ、大火・地震・飢饉などで江戸の本場所が中止されたことがあったそうですが、大正12年の関東大震災で旧・国技館が焼失した後でさえ名古屋で行ったそうですし、太平洋戦争中、旧・国技館を軍部に接収された時にも後楽園球場などで続けたといい、昭和以降、本場所が取り止めになるのは、戦争で被災した国技館修復の遅れを理由とした1946年夏場所以来、65年ぶり二度目、その時ですら6月に大阪で本場所と同じ形態の準場所を開催したそうですから、平時に不祥事で中止に追い込まれて、大相撲史上に(理事長が言う通り)最大の汚点を残すことになりました。
 もっともこれまで大相撲に八百長は全くなかったと信じるほどナイーブな人はいないでしょう。「注射」と言い、真剣勝負のことを「ガチンコ」と言うのは、そもそも大相撲の世界から出た言葉であり、そうした影が付きまとってきた証拠でもあります。石原都知事に至っては「(八百長は)昔から当たり前のことだ。今さら大騒ぎするのは片腹痛い」「(大相撲が)日本の文化の神髄である国技だったら、ちゃんちゃらおかしい」と批判したのは、相変わらず慎みが足りませんが、分からなくはありません。Wikipediaでも、江戸時代、主君の大名の意地の張り合いや面子を傷つけないための星の譲り合いによる八百長相撲は、観客としても腹に据えかねたようですが、美談としての片八百長(対戦者の一方のみ敗退行為を行う)、いわゆる「人情相撲」には寛容だったと説明しています。
 そういう観点で、今回、八百長が発覚したのが十両力士中心だったのは象徴的で、星の貸し借りを行い合ったのは、幕下に転落して無給になるのを避けるためだったことを匂わされると、厳しい格差社会と言うよりも、伝統芸能を演じていると思っていた力士が、サラリーマンか、公益法人で親方日の丸の公務員のように見えて来て、しかも大麻や野球賭博が蔓延っていたとなれば、余りの当たり前の平凡さにがっかりさせられます。国技と言いながら、貴乃花が引退した2003年以降8年間も日本人横綱が不在で、武蔵丸、朝青龍、白鵬といった外国人横綱に支えられる不甲斐ない状況に、追い討ちをかけるように起こった、大相撲の本質に係る八百長問題だけに、角界自身にはもはや弁解の余地がなく、人々の見る目も厳しくならざるを得ません。豊かな現代日本における時代の流れとは言え、あちらこちらで囁かれるように、国技としての、また伝統芸能としての相撲界は、いよいよ土俵際まで追い詰められたと言えます。
 それにしても、今回、八百長の物証になったのは、野球賭博問題の時に押収された力士の携帯電話から消されていたメールが再生されたものと言いますから、新しいメディアがここでも小さからぬ影響を与えたことが印象的でした。もちろんメディアの果たす役割は、ジャスミン革命であろうが相撲界であろうが、所詮はある種のきっかけに過ぎなくて、底流にある本質的な動きがそれで変ったというものではありません。仕切り直しは、果たして許されるのでしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする