諸外国の反応を見ていると、日本で当たり前のことが世界では当たり前ではないことに気づかされます。
一つは、日本の建築物の耐震構造に関するもので、日本では学校が避難所になりますが、たとえば中国・四川大地震のとき、彼の地の建築物は安全基準どおりに建設されない手抜き工事が多いために、7000棟以上の学校の校舎が倒壊し、5000人以上の子供たちが犠牲になったそうです。こうしたことは中国人だけではなく、日本の被災地界隈に留学している韓国人の口からも、「日本だからこそ被害の拡大を食い止められた」というようなコメントが、韓国人の間に広まりつつあるようです。
二つ目は、これだけ大きな地震と津波に見舞われても、日本人が冷静沈着に行動し、秩序が守られているということで、それは被災地で我慢強く給水や食料の配給を待ち、小売店でも待ち行列を乱さないということばかりでなく、被災地と比べるべくもない首都圏でも事情は同じで、一昨日・昨日の通勤時間帯の混雑はひどいものでしたが、そこまでして皆さん、駅の入場制限にも辛抱強く待ち、すし詰めの社内で文句一つ言わず、黙々と、よくぞオフィスに向かおうとするものだと褒めてあげたいくらいでした。アメリカのハリケーン災害や、中国の地震やデモですらも、暴動が起きていたのとは対照的と言えます。韓国でも、これほどの地震が発生していたら、地震そのものよりも、パニックになった人が起こす二次災害による被害の方が大きいだろうという声が挙がっているようです。
狭い日本列島で肩寄せ合って生きてきて、自然災害は他人事ではないことを身にしみているからこその、身の処し方なのでしょう。計画停電のような乱暴なことでも(私はそもそも呼称が気に入りませんが)、なんとか受け入れて、やりくりしようとしています。従順だと、太平洋戦争の当時も今も、個人主義のアメリカでは思うところでしょうが、従順というより、他人を思いやる心なのだろうと思います。勿論、被災者の苦労は私たちにはわからない。でも苦労しているだろうな・・・ということを、少し我が身のことに引き寄せて、慮ることができる。素晴らしい素養だと思います。
三つ目は、しかし有難い評価ではなく、福島原発の放射線漏れに関して、日本政府の発表が信じられないという指摘です。今なおチェルノブイリ原発事故の被害の実態を隠し続けるロシアには言われたくありませんが、韓国や中国のほか、オーストラリアあたりからも言われるのは、危機管理をも科学の対象にしてしまう欧米的な発想との違いでしょうか。日本政府としては、徒に不安を煽らないように情報コントロールしているつもりかも知れませんが、土曜の午後に帰宅してから日曜日にかけて、半ば放心状態でテレビをぼんやり見続けた私にも、官房長官や原子力安全・保安院による情報展開のタイミングは遅く、説明も私たちが期待する内容から程遠く、的確性に欠いたものだったように思われます。テレビのスイッチをひねれば、各局で寄ってたかって大学教授や原子力発電や放射線科の専門家のセンセイ方をスタジオに呼び、発表内容を更に解説させているところからも、発表内容のお粗末さが窺えます。
今朝の日経新聞は、ここにきてようやく政府と東京電力との間で統合連絡本部が設置されたことを伝えていましたが、事故発生から既に5日が経過しており、東電任せにしてきた政府の危機管理対応が後手に回った感が否めないと指摘するばかりでなく、「法的根拠はない。形だけつくったということだろう」と打ち明ける政府関係者の声まで紹介し、更に、これまでの対応の遅れを全て東電に責任転嫁するためのアリバイづくりだとの穿った見方もある、ということまで述べています。これらは、ゴシップ系の週刊誌ではなく、一般紙である日経の記事においての話です。
福島原発の問題は、福島方面ばかりでなく首都圏への健康被害の波及も懸念され、適時・正確な情報開示が望まれます。
一つは、日本の建築物の耐震構造に関するもので、日本では学校が避難所になりますが、たとえば中国・四川大地震のとき、彼の地の建築物は安全基準どおりに建設されない手抜き工事が多いために、7000棟以上の学校の校舎が倒壊し、5000人以上の子供たちが犠牲になったそうです。こうしたことは中国人だけではなく、日本の被災地界隈に留学している韓国人の口からも、「日本だからこそ被害の拡大を食い止められた」というようなコメントが、韓国人の間に広まりつつあるようです。
二つ目は、これだけ大きな地震と津波に見舞われても、日本人が冷静沈着に行動し、秩序が守られているということで、それは被災地で我慢強く給水や食料の配給を待ち、小売店でも待ち行列を乱さないということばかりでなく、被災地と比べるべくもない首都圏でも事情は同じで、一昨日・昨日の通勤時間帯の混雑はひどいものでしたが、そこまでして皆さん、駅の入場制限にも辛抱強く待ち、すし詰めの社内で文句一つ言わず、黙々と、よくぞオフィスに向かおうとするものだと褒めてあげたいくらいでした。アメリカのハリケーン災害や、中国の地震やデモですらも、暴動が起きていたのとは対照的と言えます。韓国でも、これほどの地震が発生していたら、地震そのものよりも、パニックになった人が起こす二次災害による被害の方が大きいだろうという声が挙がっているようです。
狭い日本列島で肩寄せ合って生きてきて、自然災害は他人事ではないことを身にしみているからこその、身の処し方なのでしょう。計画停電のような乱暴なことでも(私はそもそも呼称が気に入りませんが)、なんとか受け入れて、やりくりしようとしています。従順だと、太平洋戦争の当時も今も、個人主義のアメリカでは思うところでしょうが、従順というより、他人を思いやる心なのだろうと思います。勿論、被災者の苦労は私たちにはわからない。でも苦労しているだろうな・・・ということを、少し我が身のことに引き寄せて、慮ることができる。素晴らしい素養だと思います。
三つ目は、しかし有難い評価ではなく、福島原発の放射線漏れに関して、日本政府の発表が信じられないという指摘です。今なおチェルノブイリ原発事故の被害の実態を隠し続けるロシアには言われたくありませんが、韓国や中国のほか、オーストラリアあたりからも言われるのは、危機管理をも科学の対象にしてしまう欧米的な発想との違いでしょうか。日本政府としては、徒に不安を煽らないように情報コントロールしているつもりかも知れませんが、土曜の午後に帰宅してから日曜日にかけて、半ば放心状態でテレビをぼんやり見続けた私にも、官房長官や原子力安全・保安院による情報展開のタイミングは遅く、説明も私たちが期待する内容から程遠く、的確性に欠いたものだったように思われます。テレビのスイッチをひねれば、各局で寄ってたかって大学教授や原子力発電や放射線科の専門家のセンセイ方をスタジオに呼び、発表内容を更に解説させているところからも、発表内容のお粗末さが窺えます。
今朝の日経新聞は、ここにきてようやく政府と東京電力との間で統合連絡本部が設置されたことを伝えていましたが、事故発生から既に5日が経過しており、東電任せにしてきた政府の危機管理対応が後手に回った感が否めないと指摘するばかりでなく、「法的根拠はない。形だけつくったということだろう」と打ち明ける政府関係者の声まで紹介し、更に、これまでの対応の遅れを全て東電に責任転嫁するためのアリバイづくりだとの穿った見方もある、ということまで述べています。これらは、ゴシップ系の週刊誌ではなく、一般紙である日経の記事においての話です。
福島原発の問題は、福島方面ばかりでなく首都圏への健康被害の波及も懸念され、適時・正確な情報開示が望まれます。